社会が疲弊した時こそ、文化が必要
開館当時のミッション・構想は今も大きな意味を持っている
「80年代からスタートした博物館の基本構想、そこに掲げた理念は大きく変える必然性はないと思っています。館の理論的支柱は「江戸東京学」です。これは歴史、美術、民俗、芸能、建築など関連の学問分野を横断的、かつ学際的に展開することによって、この東京という地域をより深く、より広く究明していくというものです。このコンセプトは、現在も大きな意義をもっています」
常設展の構成は、1603年の江戸開府から1868年の明治維新までの「江戸ゾーン」、それから現代に至る「東京ゾーン」の大きく2つから成っています。
「江戸ゾーンは共時的展開をしています。一方の東京ゾーンは通時的展開をとっています。江戸ゾーンは、江戸の都市計画、町の暮らし、出版と情報、江戸の商業ほか9つのテーマに添って構成しています。実物資料をはじめ、精確に再現した模型や実物資料などを使って江戸の様相が面として分かるように工夫しています。一方の東京ゾーンは、震災や戦災を経て東京という都市がどのように移り変わってきたか、庶民の生活の諸相について、明治・大正・昭和とその時代ごとに時間軸を追って表しています」
膨大な所蔵点数の収集の苦労と徹底した管理
所蔵する資料点数は、標本資料と図書などを含めて約62万という膨大な数。その収集には大変なご苦労があったとのこと。
「江戸東京博物館は所蔵品ゼロからのスタートでした。屏風や浮世絵、工芸品などの美術品をはじめ、その種類は多岐にわたります。しかし、とくに苦労したのは高度経済成長期の生活用品の収集でした。多くの都民からの寄贈を仰ぐわけですが、"もう10年早く来てくれたら、まだ残っていたのに"という言葉をよく聞きました。展示で必要としていたのは、実際の生活のなかで使っていた初期の電化製品や鍋・釜のたぐいです。そういったものは、一般の家庭はもとより、当時はメーカーでも保存していませんでしたから(笑)。高度経済成長期からバブル期にかけて、"消費は美徳"とされていたような時代でした」
なかには清掃事務所の通報で、粗大ゴミから探し出した貴重な資料もあるとか。窮余の策ですね。そうして収集された膨大な所蔵品は、それぞれ個別にバーコードによる管理が徹底されており、貸出状況や修復のステイタスなども記録されているとのこと。そして、江戸東京博物館は2022年から大規模改修工事に入る計画があり、その後、リニューアルオープンを予定しています。
「江戸東京の歴史と文化の発信のために当館の基本方針を、資料・展示・教育・運営・研究・交流の6つの要素に設定しています。博物館は、学芸員や事務職をはじめ、さまざまなスタッフによって運営されています。自分たちの担当する仕事をそれぞれが再認識し、リニューアル後の事業計画に反映させていきます」
もう一度自分たちを見つめなおす
今回のコロナ禍と緊急事態宣言は、リニューアル後の博物館の姿にも影響があるのでしょうか。
「今回の新型コロナウイルスは、改めて自分たちの博物館のことを見つめなおすきっかけになっています。当館だけでなく、世界中の多くの美術館・博物館もそうだと思います。ほんの一例ですが、これまでにあった入場までに2時間も待つような混雑きわまる展覧会のようなもの、よくブロックバスターといいますが、それはもうあまり望まれなくなるのではないでしょうか。ただし、博物館・美術館がなくてもいいかというとそれは違う。人間を人間たらしめるものは文化です。このように社会が疲弊している時にこそ、かえって博物館に求められるものは多く、また私たちはその社会的要請に応えていかなければなりません。新たな視点をもって、あらゆる事業の"質の向上"をさらに目指したいと考えます。2020年4月の緊急事態宣言のときには約2カ月間の臨時休館を余儀なくされましたが、その後再開した際、お越しいただいた観覧者がとても喜んでくれました。なかには、涙ぐんでいた方もおられました」
今後の江戸東京博物館にとって、挑戦となる、発信方法に関するプロジェクトにも着手していきます。
「2022年からのリニューアルのための工事休館時には、これまで収集した所蔵品のすべてのデジタル化を遂行する予定です。そうして再整理された所蔵品を、今後は世界の方々が検索して閲覧できるようにする予定です」
デジタルアーカイブによって、「この東京という地域をもっと深く掘り下げ、東京に暮らす私たちのアイデンティティを確かめるべく、より調査・研究できるようにする」と小林副館長は、大きな期待を寄せています。
海外との交流に関しても、より積極的に
自分たちの博物館を見つめなおすとともに、いま海外の博物館との交流にも積極的に取り組んでいます。2020-2021年にかけて行われている特別展『古代エジプト展 天地創造の神話』(2021年4月4日に終了)は、ドイツにある国立ベルリン・エジプト博物館の所蔵品による展覧会ですが、欧米をはじめ、カイロやソウル、北京など、東京都の友好姉妹都市の博物館とも深く交流を続けています。 また国際博物館会議(ICOM)などを通じて、世界各国の都市の博物館どうしの交流をより積極的に進める提案も行っています。
「自分たちの足元、江戸東京という地域をより深く掘り下げ、一方でその成果をこれまで以上に海外に向け積極的に発信していく。つまり双方向が大切になると考えます。
さて、このパンデミックの要因としてグローバリゼーションが挙げられていますが、各地の文化もグローバル化が進むと、大切な固有の文化がなおざりにされることはないでしょうか。そのメリット、ディメリットを適格に認識することが肝要です。私たちができることは、博物館コレクションをとおした"異文化理解"にあると思います。そのためにも、デジタルアーカイブ化は有効なツールになります。それ以上に62万点に及ぶ実物資料『江戸博コレクション』の価値は重い。江戸東京の歴史と文化に対する関心はとても高いですから」
新型コロナウイルスの感染拡大や緊急事態宣言によって、博物館の運営も大きな課題を突き付けられました。インタビュー中、小林副館長は、コロナ禍での休館とその後の再開に関してだけでなく、リニューアルに際しての施策のひとつであるデジタルアーカイブについてのお話でも「もう一度自分たちの暮らしを見つめなおす」ということを仰います。江戸東京に住む人びとの日々の生活にフォーカスするこの江戸東京博物館の運営を通じて、日常のあり様を深く見てこられたからこその言葉のようで印象的でした。最後に、今後の取り組みをお聞きすると、
「休館中は、リニューアル後の事業の準備をします。たとえば"移動博物館"などを検討しています。高齢者施設や小中学校、フリースクール、矯正施設ほか、学芸員たちが江戸東京博物館のコレクションを携え、いろいろな場所に出かけて行く。それから、子供たち自身の手でつくる企画展を行いたいと思っています。子供たちに実際に学芸員の仕事を体験してもらい、博物館活動の理解を広める。これ実はね、"欽ちゃんの仮装大賞"って番組があるでしょ? あれを見ていて思いついたんですよ(笑)。とっても楽しみなんです」