ARテクノロジーで「東京都民」という概念が変わる──MESON CEO 梶谷健人
学校を卒業したら、会社に就職して、お給料をもらいながら暮らしていく。そんな生活に背を向け、自らリスクを受け入れて起業する人たちがいる。
AR(拡張現実)テクノロジー(※)でMESONを起業した梶谷健人も、その1人だ。ARはデジタル機器を通して見つめる世界に様々な表現を埋め込むテクノロジー。同社は2021年3月に国土交通省、広告代理店の博報堂DYホールディングスと共同で、若者が集まる東京・渋谷の現実の街にデジタルデータを重ねる実証実験を始めた。この実験では、渋谷を歩く人と、離れた場所にいる人が、街の中でお互いの姿を見ながらコミュニケーションをとって一緒に観光したり、ショッピングしたりする体験を検証した。
※AR(拡張現実)テクノロジー
梶谷は、商社勤めから独立起業した父と、1980年代からフリーランスのエアロビクスインストラクターとして活躍していた母の影響を受けながら育った。自分の人生は自分で決めた方が楽しい、そのためには独立心を持とうという価値観が芽生え、大学在学中からテック業界で活躍。卒業後はインドや米国でコンサルティングを手がけながら、世界を一周して見聞を広めてきた。
ARテクノロジーMESONを創業し、CEOを務める梶谷にARテクノロジーがもたらす未来と希望、起業のストーリーを聞いた。
暮らしの制約を開放するAR
──MESONが社会実装を進めているARテクノロジーは、私たちの生活をどのように変えるでしょうか。
様々な制約から解放された生活を実現できるようになります。暮らしや働き方の根源に迫るテクノロジーで、ARが普及すればこれまで以上に豊かな都市生活を送れるようになるでしょう。例えば、離れた場所にいる人と一緒に観光したり、ショッピングしたりできるようになりますし、私たちMESONもそうしたサービスを開発しています。東京にいる私と海外にいる友達が、一緒に若者の街・渋谷で遊んだり、自宅で一緒に過ごしたり、机を並べるようにして仕事をしたりすることができるんです。
そうすると「東京都民」という概念が変わると思いませんか?東京に住んでこそいないけど、東京で仮想的に働き、暮らし、遊んでいる人たちがたくさん出現するんです。そういう人々を東京がどのようにインクルージョンして(取り込んで)いくのか、とても興味があります。
また、制約が無くなっていく過程で、アイデンティティも変わっていくと思うんです。アイデンティティの1つに性自認がありますが、性的アイデンティティはソフト(心)とハード(体)を分離できないという課題があります。ARテクノロジーを使えば、自分のアイデンティティの制約を受けることなく、様々なことに挑戦できるようになるでしょう。先ほどの例で言えば、性自認が男性なら男性のアバター(仮想空間で設定する自分の姿)で就職活動をしたり、恋愛をしたりすることだってできます。
──海外生活で得た経験は?
海外に行って、一時的に自分自身を見失いました。というのも、学生時代はファッションテクノロジー企業のVASILY(現ZOZOテクノロジーズ)で働いていて、周囲からは優秀だと持て囃され、大学4年の時にはVASILY創業者の金山裕樹さんと共著で書籍も出版したりと、それなりに活躍していたんです。
それでインドやアメリカへ武者修行に出たのですが、日本での活躍はまさに井の中の蛙、海外にはもっともっと上を行く人材がたくさんいました。
そういう体験をして、アイデンティティを喪失するレベルで自分が分からなくなった時期があります。自己認識とのギャップがきつすぎて、自己肯定できなくなったんですね。とても辛い思いをしたのですが、何とかもう一度立ち上がるために、自己対話を始めました。その取っかかりになったのは、夏目漱石の『私の個人主義』という随筆です。
「私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦すくんでしまったのです。」(夏目漱石『私の個人主義』より)
漱石は日本の文壇でちやほやされて、英国ロンドンで自分の卑小さを感じて神経症を患いましたよね。そんな漱石が立ち直れたのは、自己本位という考え方です。自分が何らかの判断する時、その基準を他者に依存したり、他者との相対で決めたりするのではなく、自分という観点で決定する、ということです。
海外ではたくさんの楽しい思い出がありますが、今の自分はこういうハードな経験も含めて出来上がっていると感じます。
──起業の場として、海外ではなく東京を選んだ理由は。
悔しいな、というのが理由です。米国で修業していた時、日本が普通に馬鹿にされていたんです。例えばスタートアップイベントで初めて知り合った人と会話している中で、「どこから来たの?」と聞かれて答えた時、反応は無関心か嘲笑の2パターンでした。前者は「あっそ」と本当に無関心という感じで、嘲笑は「日本って落ち目だよね」「昔はすごかったみたいだけどね」と言われる。
これは悔しいですよ。インターネット普及以後、世界的な企業を生み出せていませんから、ぐぅの音も出ません。
だからもう一度、日本のテクノロジーで世界を驚かせたいと思って、東京で起業しました。MESONは物理学の「中間子」の意味で、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の理論にちなんでいます。日本から、東京から、もう一度テクノロジーで尊敬を取り戻すという意味を込めています。
東京は起業しやすい都市
──起業の環境として、東京と他の都市で違いはありますか。
客観的に見ても、東京は起業しやすいと思います。私自身、起業するなら米国の西海岸(サンフランシスコやシリコンバレー)か、急成長中のインドだと考え、実際にそれぞれの国で学んだり、現地のスタートアップを手伝ったりしてみました。そうして得た結論は、隣の芝生が青く見えていただけ、です。
米国はスタートアップする場所というよりも、事業をスケールさせる場所だと感じました。米国の大学を出たりして若い頃から人脈を作っていなければ、ゼロから起業するのがとても難しい環境です。起業のためには人と知り合い、資金を調達しなければいけませんが、そのサークルの中に入っていくのが極めて難しい。生活や仕事にかかるすべてのコストが高いのに、村社会だったんです。ただ、国外でしっかり足場を作った上でビジネスを思いっ切りスケールさせる国としては、とても素晴らしいところだと思います。
急成長を遂げているインドも魅力的なマーケットです。ただ、インドの人であっても国内旅行でカルチャーショックを受けるというほど、インドは地域の特徴が豊かです。ローカルの多様性は素晴らしいことなのですが、裏返すと、外国人がインドでゼロから起業する環境としては障壁が高すぎると感じました。
東京は、増えてきたとは言えスタートアップの絶対数が少ない都市です。そうすると、特定のジャンルで活動しているスタートアップの数も少なくなりますから、競合が少なくなるんです。MESONが手がけるARでサービスを開発している企業はほとんどいません。他方で、人材は極めて優秀です。グローバルで通用する人材がこれほど集まっている都市は、あまりないのではないでしょうか。
──今後、東京都に期待したいことは。
優秀な外国人の招致です。これは東京都というより、日本全体として全然うまくできていない施策ですよね。多くの優秀な外国人が、日本のビザ取得に苦労しています。
そうだ、最近面白い首長が米国にいるんです。フロリダ州マイアミのフランシス・スアレス市長で、Twitterでベンチャーキャピタル(VC)やスタートアップにラブコールを送るんですよ。VCの人が「こういう課題があって、今それに取り組んでいる」というようなツイートをしたら、スアレス市長が「私にお手伝いできることはありますか?」と返信するんです。マイアミなら、その問題を解決できますよ、という意思表示ですよね。それで本当に問題解決に取り組んで、多くのテック企業やVCがマイアミに引っ越しています。その現象は今や、マイアミ市長にフォローされたらマイアミに行かなければいけない、という冗談にまでなりました。
日本は世界的VCにアクセスしづらい国で、それが起業や国際金融の課題の1つになっていますよね。そこで、東京にいながらにして世界的なVCにアクセスしやすくなれば、状況は大きく変わります。東京都もぜひ、トップが積極的にラブコールを送ってほしいですね。