東京の夜景の魅力(前編)―I.C.O.N.代表 石井リーサ明理(照明デザイナー)
東京には夜景整備計画がありません。ヨーロッパの都市や、北米諸都市のダウンタウンに比べると地理的に広大で、道路の管轄が国や自治体など多層に跨っていること、私企業や商店街などに街並み統制のための規制があまり課されていないことなど、制度的な要因がいくつもあるからです。夜景整備のマスタープランがないために、代表的な建造物のライトアップなどの整備が、他の先進国に比べると遅く、統制が求められてこなかったのが事実です。時期的にも表現的にも任意に推進されており、そういう意味では、それぞれの計画を担う照明デザイナーの倫理観や責任感が強く問われるところでもあります。
そんな中、東京において「ライトアップ」と呼べる施工例が登場したのは、1989年の東京タワーが最初だったといえるでしょう。それまで機能的なテレビとラジオの電波塔として、航空法に基づいて赤と白に塗り分けられたこの鉄塔は、1964年東京オリンピックを象徴する建造物として、都民や観光客に親しまれた一方、夜景についての関心は一向にありませんでした。ライトアップは天皇交代に伴い「平成」という新しい時代が始まったのと偶然重なり、センセーションとなりました。東京タワーの人気が上昇したのはいうまでもありませんが、それよりもライトアップが見えるマンションやオフィス、ホテルなどの人気と価格が高まる、いわゆる「東京タワー現象」が発生。映画や小説などでも度々、大切な存在として取り上げられるようになります。それまでネオンサインと室内の蛍光灯の漏れ光で形成された画一的な東京の夜景に忽然と現れた、赤い塔が光を放つ存在感は、ほの暗い寺院の堂内に灯された「灯明」にもなぞられ、希望や祈りなどの対象として日本人の心を打ったのだとも言われています。東京タワーの「ランドマークライト」と命名されたこのライトアップは、四季の変化を大切にする日本文化をコンセプトにしてデザインされており、春夏は爽やかで涼しげな白い光で、秋冬は温かみのあるオレンジがかった光で塔を包み込んでいます。都市を代表するライトアップが季節によって異なる表情を見せるのは、世界でも他に例を見ない注目すべき点といえましょう。
こうしてそれまで誰も知らなかった「ライトアップ」という言葉が認知されるようになりました。しかしそれが照明デザイナーという特殊技能を持つプロフェッショナルによる美的クリエイションと、専門的技術の知識の両立から生み出される創造活動であり、社会的・環境的な観点からも責任を持って計画された公共的な景観整備事業であることが、一般的に認知されるには時間がかかっています。私たち照明デザイナーは、自らの職能を生かし、社会的な認知を得ることによって、活動を続けるだけでなく、夜景景観の向上に貢献できるよう絶えず研鑽しつづける運命にある、とも言えるでしょう。
その甲斐あってか、その後東京港のレインボーブリッジや、国際的にも観光地として有名となった浅草寺、東京の芸術の発信地として代表的な劇場の一つである歌舞伎座などのライトアップが進みました。一方、ライトアップの元祖ともなった東京タワーはその後、建設50周年記念に「ダイヤモンドヴェール」、60周年には「インフィニティー・ダイヤモンド・ヴェール」と、次々にデザインと技術が更新され、今では年中行事や催事に合わせた様々なパターンが展開されるようになって、日本の技術力を体現しながらライトアップの最前線を走り続けています。
後編記事:東京の夜景の魅力(後編)―I.C.O.N.代表 石井リーサ明理(照明デザイナー)