「体験する」食事、世界と繋がる和食 ― オリンピック・パラリンピック選手村ダイニングで感動を

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 「世界一美味しい選手村の料理」を目指す......。選手が笑顔で楽しめる食事を提供したいと語るのは、東京2020オリンピック・パラリンピック選手村ダイニングのメニューアドバイザリー委員会の和食担当を務める、「分とく山」総料理長の野﨑洋光さん。
「分とく山」総料理長の野﨑洋光さん。

 東京2020オリンピック・パラリンピックがいよいよスタートした。そのなかで、国内外から集まる選手たちにとって必須となるのが「食」。大会へ臨む彼らの要となる食事メニューへのアドバイスを行うのは、選手村ダイニングにおける日本の食文化の発信を手がける「メニューアドバイザリー委員会」だ。

 今回、同委員会で和食担当を務めたのが、東京都港区・南麻布にある「分とく山」総料理長の野﨑洋光さん。野﨑さんは2004年にはアテネオリンピックで、長嶋茂雄氏(元プロ野球選手・プロ野球監督)の依頼により野球日本代表チームの総料理長を務めた経験もあり、オリンピック・パラリンピックとの繋がりも深い。

和食は世界からのインスピレーション

 しかし、今回の大会は「コロナ禍」という条件付きのなかでの開催になってしまった。「世の中、自由ではないと感じましたね。我が世の春を謳歌するのが自由だと思っていましたが、自然の摂理というものには勝てません」と、野﨑さん。「とくに戦後、僕らの時代は幸せすぎたのでしょう。自由だと勘違いしていたのかもしれません」

 ただ、歴史のなかでこういった異例な状況が起こったとしても、先人たちは守り続けてきたものがあるのではないか。それが、和食でいうなら「調節すること」だと野﨑さんは話す。「私たちは、平安時代から箸を使った文化のなかで生きています。つまり、箸を使うことで好きなものを自分で調節できる。そして、味付けを自分でできる文化でもあります。みんなが違うように食べたいように調節できる、それがこの国の食、和食の醍醐味でしょう」

 また、和食は実は外来文化をアレンジしたものだと、野﨑さんは語る。「天ぷら、南蛮漬け、がんもどきなど。すべて外国から入ってきたものを日本風にしたのです。調味料としても使われる唐辛子、胡椒は外国から来たものですね。私は韓国や中国へ行ったとき、『和食を教えに来たのではなく、返しに来たのです』とよく言うんですよ。和食があるのは外国の文化のおかげでもあるのですから、オリンピック・パラリンピックでも世界中から人々が異文化交流できる場所において、食を通じてコミュニケーションを取ってほしい、そういう願いがありますね」

食べる「幸せ」と感動する「体験」

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 選手村ダイニングでは1日45,000食が提供されるが、ここでは「世界一美味しい選手村の料理」を目指していると野﨑さんは話す。「1964年の東京オリンピックで選手村の食事を手がけた村上信夫さん(元帝国ホテル総料理長)の時代とは、勝手が違います。現在は物流もシステム化していたり、ハラルがあったり。たとえば、肉といった素材の保存方法など、昔できなかったことが今では可能になりました」

 「選手村のダイニングでは各国のいいところ、美味しいところをふんだんに取り入れている料理を提供しています。今回は、コロナ禍なので、選手間でコミュニケーションがなかなか取れないのがすごく残念。お互いの国の食の話ができないというのは、ちょっと寂しいですね。ただ、こんな世界中の料理が一堂に集まる機会もないので、選手には和食だけでなく世界中の料理を楽しんでほしいです」

 また、「体験する」ことを大切に考えている野﨑さんは、選手村ダイニングで食べることも貴重な「体験」にしてほしいと話す。「どの世界でも『体験』があるからこそ感動すると思うんです。それは料理の世界でも一緒で、たとえばイワシとサバの煮付けに生姜を入れる理由も、体験していなかったら分かりませんよね。つまり、体験していたら分かることを、私たちは情報によって勝手に『知っている』と認識してしまうのです。そうではなく、選手たちにも世界中の料理を実際に選手村で体験し、感動して頂けたら嬉しいです」

野﨑 洋光(のざき ひろみつ)

 福島県生まれ。武蔵野栄養専門学校を卒業後、東京グランドホテル(和食部)に入社。5年の修業を経て、八芳園へ。1980年に東京都港区西麻布のふぐ料理店「とく山」の料理長に就任。1989年、西麻布に日本料理店「分とく山」(わけとくやま)を開店し、総料理長となる。2004年、「分とく山」が南麻布に移転。現在、南麻布本店の他、伊勢丹新宿店、とく山などグループ店を含め5店舗の総料理長として統括。
取材・文/福津くるみ、写真/高橋敬大