ユスラ・マルディニさん(UNHCR親善大使・Tokyo2020 オリンピック難民選手団(競泳))から東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会へのメッセージ

 本記事は 東京メディアセンター(TMC) 宛に届いた、UNHCR親善大使で東京2020オリンピック難民選手団(競泳)のユスラ・マルディニさんからのビデオレターを書き起こしたものです。

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オリンピック・パラリンピックを通して伝えたいこと
© UNHCR/Susan Hopper

 私の名前はユスラ・マルディニです。23歳のオリンピック水泳選手で、UNHCR親善大使も務めています。2016年のリオ大会、東京2020大会と2度オリンピックに出場しました。リオ大会では史上初の難民選手団の一員として、東京2020大会では再度、難民選手団の一員として代表に選ばれました。このことは、私にとってとても大きな意味を持ちます。なぜなら、私は9歳の時から、オリンピック出場を夢見ていたからです。

 そして、私はオリンピック選手であると同時に、難民選手団として世界中で約8200万人いる故郷を追われた人の代表です。ですから私自身、リオ大会と東京2020大会を通じて、世界中の皆さん、特に難民の人々に希望を与えたいと思っていましたし、難民選手団の夢をかなえた姿が世界中のすべての人に希望のメッセージとして届いたことを願っています。

 東京でのオリンピック開催は、私にとってとても特別なことでした。私は2017年にUNHCRのミッションで東京を訪問しました。皆さんとても親切で、すぐに大好きな街となりました。東京タワーにも上りました。私は2016年から、UNHCRと一緒に難民についての啓発活動を始めました。多くの方にお会いして、難民について話すことができて光栄に思っています。

 個人的には、今年、東京でオリンピックの開催が実現し、とても感激しました。リオ大会から5年間、毎日このために練習を積んできたアスリートたちにとって、東京2020大会は明確な夢でした。私は、世界への希望が見えた気がします。私たちは確かに一つになりました。つまりオリンピックで、私たちは一緒に立ち向かうことができるということが示されたのです。

 東京2020大会では、私は一人のアスリートとして、ルールを尊重し、行動しました。世界中のどのアスリートも、自分を律することが大切ということです。今回の大会でもさまざまなルールがあり、全アスリートがそれを守って行動していました。この時期のオリンピック・パラリンピックの開催が、非常に特別なことであることを知っていたからです。さまざまな困難がありながらも、オリンピックを主催してくださった東京都、日本政府に心から感謝を伝えたいと思います。

 日本の皆さん、応援ありがとうございました。私たちはオリンピックを心から楽しみました。大会を主催するのは大変だったと思いますが、開会式も閉会式も、そして試合に関するすべてのことが、本当に特別でした。今はパラリンピックが開催されています。世界の難民を代表して、6人の難民アスリートが出場しています。私たちの応援の声を、選手たちに伝えたいと思います。(アフガニスタン出身でパラ水泳に出場した難民選手)アバス・カリミ選手は、予選を突破し決勝に進むなど好成績を残した選手もいます。アバス選手の活躍を見て、私は本当にうれしいです。世界中がパラリンピック難民選手団を応援しています。その一人ひとりの活躍に、皆が心を動かされていることを伝えたいです。

 私が一番伝えたいのは、オリンピック・パラリンピックを通じて、世界中の難民についてもっと知ってもらいたいということです。日本でもまだ多くの方が、あまり難民のことを知らないと思います。日本でも難民について知る機会があり、難民をサポートするさまざまな選択肢があることを知っていただきたいです。そして、難民は自ら望んで故郷を離れたわけではないと知ってもらうことも私の仕事です。難民たちは自ら国を離れることを選択したのではなく、紛争などのために離れざるを得なかったのです。

 私は17歳の時に、安全が確保できないために母国を離れました。当時シリアでは5年近く紛争が続いていて、姉と私はより良い未来のために国を出ると決めました。これは、紛争中に母国を離れる誰もが考えることです。紛争のために他国に逃れるのです。自分の愛する人、母親、父親、姉妹、友人などのことを思い、自分の大切な人みんなに安全でいてほしいと望むからです。

 だから、私はUNHCRと一緒に活動しています。私は難民についてもっと関心を持ってもらうために、UNHCR親善大使の任務に取り組んでいます。そして、繰り返しになりますが、東京2020大会に出場できたことをとても感謝しています。

 私は3歳から水泳を始めました。私は小さいころから良い記録を出し、9歳でオリンピック(選手になること)を夢見始めました。コーチは父でした。母国シリアを離れ、ドイツに到着してからも水泳を続けることを決めました。

 私の目標は、東京2020大会でオリンピックに出場することでした。 (ドイツに到着した)ちょうどその頃、リオ大会でオリンピック史上初の難民選手団が結成されました。私はその選手団の代表に選ばれて、本当に、本当に幸運でした。リオ大会出場のおかげで、私はアスリートとしてコミュニティに溶け込むことができました。疎外感を感じることも少なくなりました。というのも、スポーツを通じてたくさんの人と出会い、自分が社会の一員であると感じるようになったからです。

 また、リオ大会出場によって、私の周りのすべてが変わり始めました。実は、私は難民であることをあまり誇りに思っていませんでした。世界は難民に対して、どういうわけか、あまり良くないイメージを持っているからです。「彼女は難民だから」。「彼は難民だから」。「難民は多くのことを成し得ない」というようにです。

 でも、オリンピックが私を変えました。リオ大会で初の難民選手団10人の1人としてスタジアムに入った時に、私は決意しました。難民を代表すること、そして自分を誇りに思うことを誓いました。たくさんの困難な経験をしたからこそ、唯一無二の存在でありたいのです。私はまだ進み続けています。夢も見続けています。今も大好きな水泳を続けています。

 ですから、難民にとってスポーツはとても重要な役割を果たすと感じています。難民にとってまず必要なのは、衛生的で安全な場所での教育へのアクセスです。その次に、スポーツもとても重要です。人生において、生きるために誰もが何かを必要としています。私にとってスポーツは、時には逃げ道でもありました。

 スポーツをすることで、他のことをすべて考えるのをやめて、今していること、つまり練習に集中できると分かりました。特に、若い世代の人たちが、社会と交わり、自分の存在を確認するうえでも、とても良いツールだと思います。

 コロナによって1年延期となったものの、私は東京2020大会に出場できました。ここで起きたことすべてが、私たちアスリートにとって本当に特別でした。そしてとても感動的でもありました。だからこそ、日本でオリンピックが開催されたことにとても感謝しています。私がお会いした日本の皆さんは、とても温かく迎えてくださいました。日本の方が難民に対しても同じように接し、難民のために手を差し伸べてくださることを願っています。今、難民たちは、かつてないほど、皆さんからの支援を必要としています。

ユスラ・マルディニ

Yusra Mardini

シリア難民の競泳選手、オリンピアン。2016年のリオデジャネイロオリンピックで史上初めて結成された難民選手団の代表として出場。2021年の東京大会にも難民選手団の代表に選ばれ、2度目のオリンピック出場を果たした。

2017年4月、19歳の時に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使に史上最年少で就任。UNHCRのキャンペーンやイベントへの参加に加えて、世界各地で故郷を追われた人々の代表として、難民の生き抜く力や生活再建に向けた努力、受け入れコミュニティへの積極的な貢献などについて伝えている。また、ローマ法王との面会、国連総会、Google Zeitgeist、WE Day、ダボス会議などでスピーチを行うなど、グローバルな活動に取り組む。ユスラ選手の一連のストーリーは自伝『バタフライ 17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで』(朝日聞出版)として出版されており、映画化の予定。

写真:© UNHCR/Jordi Matas