日本のMaaS普及は本当に遅れているのか?

出典元:ニューズウィーク日本版
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 共通の評価基準に照らし合わせることで日本の移動にまつわる課題が見えてくるのは確かだが、大切なのは欧州の型にとらわれすぎないこと──日本のMaaSの現状について、モビリティジャーナリスト・楠田悦子氏の分析。
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 「日本のMaaSは欧米に比べて遅れている」と言われている。

 事業者間の連携や情報の統合、サブスクリプションモデルの導入が進んでいない、実証実験止まりのものが多いなどが理由として挙げられる。

 日本のMaaSは果たして本当に遅れているのだろうか。

欧州発のMaaS

 そもそもMaaS(マース、Mobility as a Service)は、クルマに頼らず、デジタルテクノロジーをうまく使って、環境にやさしい生活を実現するというもの。そのために公共交通と様々なモビリティサービス、さらにサブスクリプションモデルといった料金設定などを組み合わせて、個々人に合わせて最適化させるという動きだ。SDGsやデジタル化社会を象徴するモビリティの概念で、欧州で生まれた。

 ちょうどトヨタ自動車が「モビリティカンパニー」へのモデルチェンジを宣言し、MaaS普及を牽引するMaaS Global社に出資したこと、MaaS車両やプラットフォームに関する発表をしたことで、自動車・交通業界のみならず日本で急激にMaaSへの関心が高まった。CASE*1の本格化など自動車業界が100年に1度の大変革期を迎えたことが背景にある。

 MaaSは欧州から輸入された概念のため、環境が異なり、英語も苦手な日本人にとって言葉の解釈は容易ではない。

 「MaaSはアプリか、概念か」「2つ以上繋ぎ合わせていないサービスもMaaSなのか?」「MaaSとCASEとスマートシティの関係をどう整理するのか」「どう政策に落とし込むか」と、日本におけるMaaSの政策づくり担当者たちも頭を抱えた。

*1 CASE:Connected(つながる)、Autonomous(自動化)、Shared and Service(シェアとサービス)、Electried(電動化)の略称。ドイツの自動車メーカー、ダイムラーが提唱

日本のMaaSレベルは低評価になりがち

 MaaSには5段階のレベルがある。スウェーデンのチャルマース工科大学の研究者が定義したレベルだ。日本政策投資銀行の解釈を参考にすると、以下のように整理できる。

レベル0:「No Integration(統合なし)」
個別の移動サービスがばらばらに存在している状況

レベル1:「Integration of Information(情報の統合)」
別々の移動サービスの運行情報、料金などの情報が経路検索などで1つに統合された状況

レベル2:「Integration of booking&payment(予約・決済の統合)」
予約、決済、発券がアプリで一括して行える状況

レベル3:「Integration of the service offer(サービス提供の統合)」
移動サービスを第三者的に提供するMaaSオペレーターが、個別の移動サービスを束ね、期間定額制(サブスクリプションモデル)など魅力的な料金体系で利用者に「最適な移動」を提供できている状況

レベル4:「Integration of policy(政策の統合)」
都市計画やインフラ整備などと交通政策が一体となって立案されている状況

 このレベル設定がMaaSの進捗を評価する国際的な基準となっており、これに照らし合わせれば、「日本のMaaSはレベル1止まり」「欧州は進んでいて、日本は遅れている」といったネガティブな評価に着地する。

 日本のMaaSは本当に遅れているのか。

 海外でMaaSについて現地取材をして感じるのは、日本の移動に関するサービスが他国と比べて劣っているわけではなく、むしろ勝っている点も数多くあるということだ。

 東京では、スパゲッティのように複雑に絡み合う路線に最新モデルの電車、バス、タクシー車両が随時投入され、丁寧なメンテナンスを受けながら運行されている。

 民間鉄道事業者による車両や人の相互乗り入れの連携も進んでいる。小さな街にも鉄道やバスが走る日本の公共交通の定時制や安全性は、他国と比較してもピカイチだ。多くの欧州の国よりもサービス供給量や関係する事業者数はずっと上だ。補助金頼りの欧州と違い、黒字経営を保っている交通事業者もある。

 ドイツでは交通事業者が連携して作ったMaaSアプリが地域ごとに存在し、用途やエリアが変わるたびに新しいアプリを立ち上げ直す必要がある。全国津々浦々の鉄道やバスなどの乗換検索を1つのアプリで検索できる日本のアプリの方が便利だと感じることも多い。

 欧州には改札のない国もあるが、日本は各駅に改札があり、交通系ICカードで異なる交通事業者も1枚で決済ができる。Suicaはクレジットカードと連動し、自動的にお金がチャージされ、コンビニ、飲食店、ドラッグストアなどありとあらゆるお店で使える決済機能が付いている。スマートフォンやスマートウォッチでも使える。

 スマートフォン発祥の地アメリカにMaaSのインタビューで訪れた際に「アメリカにはスマートフォンやスマートウォッチなどデバイスと連携した交通系ICカードがないので、日本はすばらしい」と絶賛されたこともある。

 欧州では交通以外の決済ができないので、コンビニや飲食などありとあらゆる決済の手段となっている日本の交通系ICカードや、駅構内で展開されている店舗事業に対する評価は非常に高い。スイスでは最近になって駅の建物内に飲食店や服飾店などが増えたが、日本の駅活用の例を参考にしたものだという。

日本独自のMaaSレベルを

 欧州と日本では、移動に関係するサービスの環境は異なる。欧州発のMaaSレベルに照らし合わせても当てはまらないことも多い。またサービスや決済は統合されず、個別に分かれていた方が便利な場合もある。

 日本のMaaSは2018年度に経済産業省や国土交通省が中心となって、集中的に政策検討が行われた。それにのっとり、2020年度と21年度に全国各地で実証実験が行われている。

 日本が政策的にMaaSに取り組み始めてから3年が経つ。移動の質は向上したのか。そろそろ中間的な評価を行い、今後の政策の見直しや更新をする時期に差し掛かっているのではないかと思う。

 その際に、日本のMaaSレベルを作ってみてはどうだろうか。日本の実情にふさわしく、目指すべき社会への前進を描ける基準だ。日本の交通インフラシステムを用いたアジアの地域もあるため、他国の範例とすることもできるだろう。

 日本のMaaSの事例を見ると、個々人の暮らしや移動の状況を的確に把握し、その解決策となるようなサービス提供はまだまだできていないと感じる。欧州発のMaaSレベルの型にとらわれて真のニーズを取りこぼしているのではないか。

 新型コロナウイルスによってデジタル化も大きく進み、リモートワーク環境の普及など企業の経営も変化してきている。移動に対する価値が変わりつつある今、それに合わせた新たなMaaSが期待されている。

 国や地域でビジョンを策定し、移動手段を総動員させたモビリティ戦略・体制の構築。そこからようやくデジタル活用に着手すべきだ。

 成功している事例では、業務効率化、働き方改革、販売チャネル多様化、顧客とのコミュニケーションといった戦略を検討するなかでMaaSに至ったものが多い。業務効率化の実例としてオーストリア・ウィーンの「WienMobil」、販売チャネルの多様化はスイス連邦鉄道の「SBB Mobile」、顧客とのコミュニケーションは台湾・高雄の「MeN-Go」が挙げられる。

 そして、日本独自のMaaSを推進する上で圧倒的に足りないのが人材だ。地域の真の課題を見抜き、都市経営や交通事業者の経営の観点から戦略を練ったり、利害関係が複雑にからむ内外関係者を調整し、組織体制を整え、さらにデジタル化を進めるのだから生半可なスキルでは務まらない。

 戦略づくりやデジタルテクノロジーを理解するための教育に助成を出しても良いのではないか。今後日本ならではのMaaSが発展し、社会課題の解決につながることを切に願う。

楠田悦子

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モビリティジャーナリスト。自動車新聞社モビリティビジネス専門誌『LIGARE』初代編集長を経て、2013年に独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」、「MaaS関連データ検討会」、SIP第2期自動運転(システムとサービスの拡張)ピアレビュー委員会などの委員を歴任。心豊かな暮らしと社会のための、移動手段・サービスの高度化・多様化とその環境について考える活動を行っている。共著『最新 図解で早わかり MaaSがまるごとわかる本』(ソーテック社)、編著『「移動貧困社会」からの脱却 −免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット』(時事通信社)、単著に『60分でわかる! MaaSモビリティ革命』(技術評論社)。
※本記事は「ニューズウィーク日本版」(2021年2月15日)の提供記事です。