視覚障がい者の私がパラのボランティアで開いた共生社会への扉

Read in English
 厳しい状況下での開催でありながら、いくつもの感動と記録を生んだ東京2020大会。この歴史的な大会は、障がいのある人もない人も分け隔てなく暮らせる共生社会の実現に向けた、大きな前進にもなった。
東京2020大会のボランティアを務めた工藤滋氏(中央)と仲間たち

コロナ禍の大会を支えたボランティアたち

 新型コロナウイルスの世界的流行という未曾有の事態のもとで開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会。多くの熱戦が繰り広げられたその裏で、選手たちを支えたのは、19歳から91歳まで延べ7万6000人を超える大会ボランティアだった。

 「多様性と調和」をビジョンのひとつに掲げた今大会では、障がいのある人も数多くボランティアとして参加した。筑波大学附属視覚特別支援学校で鍼灸手技療法科の教諭を務める工藤滋氏もその一人。

 視覚に障がいのある工藤氏は、東京アクアティクスセンターで行われたパラ競泳でのボランティア活動にあたった。活動は主に3つ。レース開始を伝えるボードを掲げることと、座席や手すりの消毒作業、そして、競技後の選手たちの見送りだ。

 そのうち、期間中に毎回行っていたのが「静かに/Quiet, Please」のボードを掲げる活動。選手は、雑音があるとスタートの音が聞こえにくかったり、集中力が散ったりすることがある。そのため、ボランティアがボードを頭上に掲げ、会場にいる関係者やスタッフに静かにするよう促すのだ。

「静かに/Quiet, Please」のボードを掲げる工藤氏(左)

TOKYO2020に参加したから出会えた友人たち

 こうしたボランティア活動は、健常者を含む23名のチームに分かれて行われた。メンバーは毎回変わり、ほとんどの人が障がい者の誘導やサポートははじめてだったそうだが、すぐに慣れて丁寧に対応してくれたこともいい思い出だと、工藤氏は振り返る。

 一番の思い出は、最終日にメンバーの女性から丸いシールをひとつひとつ貼り付けて作った点字のメッセージカードをもらったこと。彼女と同じチームになったのは1日だけだったが、その後、独学で点字を学び、「一緒に歩んできた仲間との出会いは宝物。ありがとう」という内容のメッセージを渡してくれたのだ。

 「点字の細かいルールもきちんと守っていて、とても正確な文章でした。点字機を使って書いたメッセージをもらうことはあるけど、手作りのカードはほとんどありません。たった1日で点字のルールをマスターして心を込めて作ってくれたことが、すごくうれしかったです」

 メンバーとは連絡先も交換し、近況報告をし合うことが今後の楽しみだと笑顔を見せる。

ボランティア仲間に点字ディスプレイについて説明する工藤氏(左)

共生社会を実現する一歩は共同作業にあり

 工藤氏は今回のボランティア活動を通して、共生社会の実現のためにはコミュニケーションが欠かせないと実感したという。それに気づいたのは、健常者のボランティアの多くが、工藤氏が障がい者であることを高いハードルだと感じ、接し方などに悩んでいたと知ったからだ。

 しかし、実際は目が見えないだけで、それを除けば健常者と何も変わらない、と工藤氏は言う。そこで、自分と触れ合った健常者のメンバーたちに、正しい誘導のやり方といった新しい知識や気づきを与えることを心がけた。それが、「障がい者は接しにくい」というイメージを変えるきっかけになったはずだ、という自負もある。

 一方、障がい者は普段からサポートされる側にいるため、自分がボランティア活動に参加すると迷惑をかけると思い込んでいるケースが多いという。工藤氏が勤める学校の生徒たちの多くがそうした不安から消極的になりがちで、それはボランティア参加前の自分も同じだったと打ち明ける。

 しかし、大会ボランティアの活動を終えた工藤氏は、健常者のボランティアから「工藤さんと一緒に活動できてとても有意義でした」「貴重な体験ができました」と声をかけられ、障がい者から健常者に与えるものがあることを実感できたそうだ。

 一緒に活動することで互いに得るものがあるなら、共生社会の実現は簡単なのではないか──と肌で感じた工藤氏。今後の目標についてこう語る。「学校で生徒たちに自身の経験を伝えるとともに、ボランティア活動にも進んで参加して、障がい者の本当の姿を多くの人に見てもらう。そうすることで、障がい者と健常者をつなぐ懸け橋になりたいですね」

 東京2020大会が刻んだ共生社会への確かな一歩。大会が遺したレガシーとして、次の時代を担う子どもたちへと受け継がれていくに違いない。

取材・文/安倍季実子 写真提供/日本財団ボランティアサポートセンター