【元関脇・安美錦×小林モー子 対談】オートクチュール刺繍の化粧まわし誕生秘話

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 関取在位歴代1位の元関脇・安美錦が引退して早3年。コロナ禍のために2度にわたって延期された断髪式が、いよいよ2022年5月29日に両国国技館で行われる。刺繍作家の小林モー子氏が制作した、フランスの伝統工芸、オートクチュール刺繍を施した化粧まわしも再び土俵に上がる。現役最後の2019年7月場所に、2日間だけお披露目された幻の化粧まわしだ。断髪式を目前に控えた安治川竜児氏の想いと化粧まわし制作の裏話を聞く。
刺繍作家・小林モー子氏が制作したオートクチュール刺繍の化粧まわし

3年越しの断髪式で化粧まわしを披露

小林モー子(以下、小林) いよいよですね、断髪式。2度延期になってしまったので、今回は無事に式を終えられるといいですね。

安治川竜児(以下、安治川) はい、やはり3年近くお待たせしてしまいましたから。お客様に、ぜひ安心して楽しんでもらいたい。これまで応援してくれてありがとうという気持ちを伝えたいと思っています。

小林 私の長年の夢であったオートクチュール刺繍のまわしもまた、皆さんにご覧いただけるので、ワクワクしています。昔から化粧まわしを作りたいと言い続けていたのですが、まわしは伝統工芸なので無理かなとあきらめていました。ところが、そのことを聞いて、仲介してくれる方が現れて、とうとう夢がかないました。

安治川 実は現役時代にそのまわしを着けて土俵に上がったのは2回だけです。2019年の7月場所の初日に、小林さんにも来てもらってお披露目したのですが、2日目にケガをしてしまい、現役引退を決意しました。でも、これからはどんどん表に出して、皆さんに見てもらおうかなと思っています。

小林 私はもう、着けてもらえただけでうれしくて、舞い上がっちゃって。本当にありがとうございました。

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オートクチュール刺繍の化粧まわしを着けた安治川竜児氏(元関脇・安美錦)

伝統工芸の化粧まわしを自由な発想で

編集 小林さんは、どうして化粧まわしに興味を持ったのですか。

小林 小さな頃から化粧まわしが気になっていました。とても大きなお相撲さんの腰から下に、絵がぶら下がっている。ギャラリーや美術館に飾ってあるような絵を、土俵をぐるっと回りながら、みんなに見せて回る。その光景が不思議ですごく印象的でした。刺繍をしているときに、ふとそれを思い出して、ぜひやってみたいと思うようになりました。

安治川 最初はお断りするつもりでした。実は、化粧まわしの話は、それまでもいくつかいただいていましたが、30代の最後の数年間は、いつ土俵を下りるかわからない、もらっても着ける機会がないかもしれないと思い、みんな断っていました。

小林 その話、いま初めて聞きました。

安治川 ただ、小林さんに「化粧まわしが夢です」と言われて、そういうことであればと。でも、後から後援会の方に、なんで自分の申し出はずっと断っていたのに、作ったんだよと、結構言われました。「夢」だからですと説明して、納得してもらいました。

小林 わあ、知りませんでした。ありがとうございます。私にとっても、本当に素晴らしい経験でした。「安美錦」は故郷に錦を飾るという意味だとか、出身地の青森を連想させるモチーフを使おうとか、安美錦関のご両親が漁師をされていたので、イカとかサケとかも入れようとか、話し合いながら浮かんでくるアイデアを、自由に形にしていきました。

安治川 ああしてくれ、こうしてくれっていう細かなことは、何も言ってないですよね(笑)。

小林 ええ、本当に何にも(笑)。せっかくの機会なので、スタッフのみんなにも参加してもらって、2週間弱の短期集中で仕上げました。刺繍枠を何台かに分けて作業を分担して、例えば立体感を出したい部分は別に作って、後から重ね合わせるとか、ガラスのビーズで全部を作ると重くなり過ぎるので、スパンコールを混ぜるとか、そういう工夫をしました。重すぎて、落ちてしまったら大変だと思って。

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生地の裏面から刺繍し、ガラスのビーズやスパンコールを縫い付ける

安治川 そうだったんですね。化粧まわしは、元々どれも重たいので、まったく気になりませんでした。着け心地もよかったです。ところで、小林さんはどんなきっかけで、オートクチュール刺繍を始めたのですか。

オートクチュール刺繍との出合い

小林 最初に出合ったのは、1999年、パリの革細工、羽根飾り、刺繍、宝飾加工などの工房の展覧会でした。当時、学生だった私は、ルサージュという工房の刺繍を初めて見て、衝撃を受けました。とても人間が作っているとは思えないと。それで就職してお金を貯めてからパリに留学して、ルサージュで刺繍の技術を学びました。6年ほどパリで刺繍に携わる仕事をして、2010年に日本に戻り、アクセサリーの制作、広告やデザインの仕事、刺繍教室なんかをやっているという感じで、11年目です。

編集 現在は都内にアトリエをお持ちですが、東京の印象は?

小林 東京は超現代的なものから、伝統的なものまでいろいろなものが混ざり合って、新しいものを受け入れやすい。あとスピード感も違いますね。私は神奈川県の出身ですが、もし地元で刺繍の仕事を始めていても、こんなに早くは広がらなかったと思います。

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フランスの刺繍学校「ルサージュ」で学び、現在は東京にアトリエを構える小林モー子氏

「東京」で人と人がつながる

編集 安治川さんは、いつ東京に出てきましたか。

安治川 私が生まれた青森県はとても相撲が盛んな地域です。自分も小学校3年生から相撲を始めて、高校卒業と同時に上京し、今の伊勢ケ濱部屋に入門しました。東京は夜でもびっくりするくらい明るいので驚いた記憶があります。あとはなんでも便利です。

小林 本当に不便なところがなくて、すごいと思う。便利過ぎちゃうという気もしますね。

安治川 東京に居るんだと実感するようになったのは、最近になってからです。現役時代は朝から晩まで稽古一筋でしたから。最近は、歌舞伎を観たり、美術館に行ったりとか、東京を楽しんでいます。

編集 今後のご予定は?

安治川 いずれ独立して、以前住んでいた江東区の石島で新しい相撲部屋を起こしたいですね。最近、相撲を取る子どもたちが減っているという話も聞きますが、いい弟子を育てて、相撲を盛り上げていきたいと思っています。

小林 新しい相撲部屋、楽しみですね。私も最近、アトリエがある渋谷の西原商店街で、街づくりみたいなことに関わっているんですが、便利さだけを求めるのではなく、人のつながりを大事にしたり、歴史を大切にしたりとか、みんなにそういう思考があると、東京の未来が変わってくるのかなと思いますね。

安治川 竜児(あじがわ りゅうじ)

1978年生まれ、青森県西津軽郡深浦町出身。大相撲の元関脇・安美錦。1997年に現在の伊勢ケ濱部屋に入門し、得意技は右四つからの寄り、出し投げなど。最高位は東関脇で、三賞受賞12回、関取在位117場所(歴代1位)。現在は年寄安治川として後進の指導にあたっている。コロナ禍で2度延期になった断髪式を5月29日に両国国技館で実施する。

小林 モー子(こばやし もーこ)

1977年生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。文化服装学院在学中にオートクチュール刺繍に魅せられ、服飾メーカー勤務を経て、2004年に渡仏。パリのオートクチュール刺繍アトリエ「ルサージュ」で学び、ディプロムを取得。パリで活動を続ける。2010年に帰国し、アトリエ「メゾン・デ・ペルル」を設立。刺繍アクセサリーの制作をはじめ、刺繍を使った広告やデザインの制作、刺繍教室の主宰など、刺繍作家としてさまざまな分野で活動を続ける。
取材・文/熊野由佳 写真提供/安治川竜児、maison des perles