南スーダンと日本の陸上選手が、東京でともに夢を追う理由
東京2020大会が終わって、楠選手はアブラハム選手をチームに迎えた
1955年からのきわめて長期の内戦を経て、2011年にスーダンから分離独立した南スーダン。その後も武装闘争が止まず苦境に置かれる中、2019年、グエム・アブラハム選手は日本を訪れた。挑むは東京2020オリンピック競技大会、陸上男子1500メートル。成績は3分40秒86、予選敗退ではあったが自己ベストを2秒縮めた、南スーダン記録だった。
オリンピックが終わり、帰国。そして2022年、彼は再び日本へ。アブラハム選手を招いたのは、陸上中距離のプロチーム「阿見AC Sharks(シャークス)」。声をかけた代表の楠康成氏も陸上選手だ。アブラハム選手を迎えた理由、2人の思い描く陸上の未来とは。
--2人の出会いについて教えてください。
楠康成(以下、楠) アブラハムに初めて会ったのは2021年の3月、南スーダン選手団は前橋市で事前キャンプ中でした。コロナ禍で東京2020大会の開催が危ぶまれている頃で、彼は「南スーダンではオリンピックで活躍する自国の選手を応援することで、対立している部族の垣根を越えることができる。南スーダンの平和のためにもオリンピックで走りたい」と言っていたんです。海外選手の思いを知って、改めてスポーツの力に気付かされました。
--アブラハム選手は、東京2020大会に出場していかがでしたか?
グエム・アブラハム(以下、アブラハム) 東京オリンピックで、自分の可能性を知ることができました。世界中に友だちができ、家族を養えるようにもなった。僕がスポーツ選手として活躍することが、祖国の人々の希望になると思っています。自身の活動を南スーダンの未来につなげたいという話をしたら、楠さんは共感してくれました。
楠 アブラハムが目指していることは、僕が目指していることでもありました。僕もスポーツの価値をより多くの人に伝えて社会を変えていきたい。オリンピック終了後に彼がトレーニングを続けられるのか、心配でした。取り巻く環境も金銭面も厳しいことは知っていましたから。それで電話をかけました、「一緒にやろう」と。
アブラハム 前橋の大学からの誘いもあり、本当にありがたいことで悩みました。僕は1500メートルという種目で2024年のパリオリンピックを目指しているので、良き友人でもある楠さんの中距離チームに入ることを決めました。ともに成長していけると思うんです。
東京ではいい感じで練習できています。ほかのことに煩わされることなく、トレーニングに100パーセント集中できるので走りも改善されていく。先日も北海道で自己記録を更新しました。練習環境が良いので、もっと速く走れるはずです。
--楠さんは選手生活を送りながら、市民ランナーや中高生の指導にも取り組んでいます。なぜですか?
楠 阿見AC Sharksは、東京で一般向けに会員制の教室を開催しています。会員の方々が気持ちよさそうに身体を動かし、仲間と励まし合う姿を見て、スポーツの新たな価値に気付きました。スポーツは高みを目指すことがすべてではないし、速いから偉いってことでもないんです。勝つことだけに意味を見出していたら、ゼロかイチかになってしまいます。教室をやっていなかったら、こんなに充実した競技人生は送れていませんね。
アブラハム 僕も1度参加したらとても楽しくて、また参加したいです。南スーダンはスポーツをする環境が整っていません。いずれ母国でスポーツの教室を開くことも目標の一つです。楠さんとはこういう夢を共有できる、だからパワーをもらえますね。日本の陸上を通じて学んだことを南スーダンの陸上界にもたらしたいです。
--夢が世界に広がりますね。
アブラハム 東京2020大会では国を代表して走るという目標は達成しましたが、競技成績は十分ではありませんでした。パリオリンピックでは決勝に進出して、いい結果を残したい。
楠 アブラハムは大舞台に強く、世界のトップアスリートにも果敢に挑んでいきます。どれだけ速くなるのか、怖いくらいです(笑)。阿見AC Sharksを運営する株式会社Sharksの代表としては彼を支える企業も見つけたい。僕自身がパートナー企業と夢を追って、充実したアスリート人生を送れていますから。アブラハムの成長に負けないよう、チームも僕も強くなります。
写真/平岩 享