Correspondents' Eye on Tokyo :
ジャーナリストを触発した、東京の豊かなコーヒー文化

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 トルココーヒーの本場、イスタンブール出身の特派員、イルグン・ヨルマズ氏がコーヒーの魅力に目覚めたのは意外にも東京に来てからだという。今やバリスタの資格取得に向けて猛勉強中だ。
お気に入りのカフェ、東京スカイツリー近くのアンリミテッドコーヒーバーでくつろぐイルグン・ヨルマズ氏。

コロナ禍に始めた散歩で発見したカフェの数々

 苦いし、カフェインが強いから、コーヒーは苦手――。トルコのイスタンブール出身のジャーナリスト、イルグン・ヨルマズ氏はずっとそう思っていたという。それに、ロンドンやニューヨークを経て東京に来てからは、日本らしいものをと緑茶を好んで選ぶようにしていた。

 それが一変したのは、新型コロナウイルス感染症の流行がきっかけだった。当初はヨルマズ氏もほかの人々と同じようにステイホームで過ごしていたが、東京は世界の多くの大都市のようなロックダウン(都市封鎖)をまぬがれたため、少しずつ家の外に出られるようになると、夫との朝の散歩を日課にすることにした。すると驚いたことに、あちこちにおいしくて気の利いたカフェがあるではないか。そこである計画が心に浮かんだ。

 「なんでもプロジェクトや目標を設定するのが好きなんです。そこで、コロナ禍が少し落ち着いたら、毎日一軒、新しいカフェを開拓しようと決めました」とヨルマズ氏は振り返る。「びっくりしましたね。東京にこんなにたくさんのカフェやロースター(コーヒー焙煎工房)があり、こんなにたくさんのバリスタがいるとは知りませんでした。コーヒーを中心とする立派な文化が存在したのです」

 「好奇心がとびきり旺盛」で「物事を掘り下げるのが好き」というヨルマズ氏は、毎日新しい店に行っては、出会った人から話を聞き、コーヒーに関する本を読みあさった。ついには、自らバリスタの資格取得に挑戦することを決意。中目黒にある専門学校レコールバンタンの日本バリスタ協会(JBA)のライセンス取得を目指すコースに入学した。

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質問したり、メモを取ったりしてコーヒーの見識を深めている。

 バリスタの勉強によって、コーヒーの知識が深まっただけではない。日本の人々と、取材相手としてではなく、コーヒーを愛する仲間として交流するようになり、まったく新しい世界が開けたという。「私の日本での経験に本当に大きなプラスになっています」

 次の目標は、日本バリスタ協会のライセンス試験(筆記も実技もすべて日本語だ)に合格して、コーヒー焙煎に挑戦すること。「東京だけでも300以上のロースターがあるんです」。外国の大都市では、厳しい換気規制のために小規模ロースターは厳しい立場に立たされているが、東京のロースターは小さなスペースでも工夫を凝らして素晴らしい仕事をしているとヨルマズ氏はいう。

 「日本人はなんでも完璧を追求しますが、東京のコーヒー文化もそうですね」とヨルマズ氏はみる。「東京のカフェには、おもてなしの精神が根付いている」から、客は一杯のコーヒーがいつも素晴らしいクオリティーを保って提供されると期待できるのだという。

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アンリミテッドコーヒーバーのバリスタ、桜井志保氏による見事なラテアート。ヨルマズ氏もハートの描き方をマスターしたところで、今は白鳥に挑戦中だ。

 「下北沢のベアポンド エスプレッソは、毎朝オーナーがテイスティングをして、最高のクオリティーであることを確認するまでは、店を開けることさえしません」と、ヨルマズ氏は感嘆した様子で語った。「お客さんに敬意を払っている証拠です」

 広尾にもお気に入りのカフェがあるという。ネムコーヒー&エスプレッソは、朝の散歩で偶然見つけた店の一つだ。路地裏にひっそり佇む店には、夫婦経営ならではの柔らかい空気が漂っている。植物由来の原料でできたストローや、自然電力を使うなど、エシカルな取り組みも気に入っている。

 本が詰まった本棚があるような昔ながらのレトロな喫茶店も好きだという。いつか、伝統とモダンの中間くらいのカフェを開くのが夢だとも。「わび・さびが感じられるような店にしたいんです」。東京にはコーヒー文化の中心のような場所がいくつもあるけれど、特に惹かれるのは、蔵前など下町の飾らない雰囲気があるエリアだ。

 「コーヒーがおいしいことは重要だけど、もっと重要なのは、コーヒーを提供してくれる人との交流です」と、ヨルマズ氏はコルタード(少量の温めた牛乳を注いだエスプレッソ)を片手に話す。2階にバリスタの講習を受けられるトレーニングラボも併設するこの東京スカイツリー近くのアンリミテッドコーヒーバーでは、授業では学びきれない実際のカフェでの知識が得られるのだという。

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コールドブリュートニックをつくる桜井氏。ヨルマズ氏いわく「日本では女性バリスタはまだ少ない。桜井さんにはいつも刺激を受けています。私もいつか彼女みたいになりたいですね」。

 「トルコには、『一杯のコーヒーにも40年の思い出』ということわざがあります。誰かとコーヒーを飲んだら、その会話は素晴らしいものになり、何十年も覚えているという意味です。世界中どこでもそうだとは思いますが、トルコとトルココーヒーには特に当てはまる言葉です!」

社会問題への情熱をコーヒーにも

 ヨルマズ氏はジャーナリストとして、人権、外交政策、気候変動問題など、ある意味で堅い記事を長年書いてきた。だが最近は、日本のコーヒー文化を取材した記事も書いている。日本経済新聞社の英文媒体『日経アジア』に最近掲載された記事では、日本のスペシャルティコーヒー(生産地特有の風味や特性を感じられるコーヒー)や、サードウェーブの次のフォースウェーブが来ているといわれる日本のコーヒー文化のトレンド、近年のエシカルな取り組みを紹介している。

 日本生まれのユニークなプラットフォーム「ティピカ(TYPICA)」を紹介した記事もある。ティピカは、世界のコーヒー豆生産者とロースターが生豆を麻袋1袋から直接取引できる仕組みを提供する。「ティピカは、フェアトレードとサステナビリティが単なる流行語ではなく、実際にアクションに移されている例だ」とヨルマズ氏は指摘している。

 一方、日本外国特派員協会(FCCJ)の第2副会長として、報道の自由やジェンダー平等の推進にも取り組んでいる。「女性の直感を信じているんです」と、ヨルマズ氏は率直にいう。日本でも「もっと多くの女性が政治の世界に進出し、地域経済を動かす存在になってほしい」。

 「杉並区では素晴らしい事例が誕生していますよね」と彼女は付け加える。「新しい区長は女性で、自転車で通勤しているのだとか!」

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バリスタの桜井氏に、その日のコーヒー豆について聞く。

 取材もラテアートの練習もしていない時には、東京の小さな寺社巡りを楽しんでいる。

 「東京には随所に小さな信仰のためのささやかな場所があって、自由に訪問したり、拝んだりできる。人々の生活に身近なものとして存在しており、とても有意義だと思います」。ヨルマズ氏自身はイスラム教徒だが、さまざまな信仰の伝統について学ぶのが楽しいという。

 「毎年お正月には、家族で港区内の神社やお寺に行って、いろいろな七福神のお守りを買い込みます」とヨルマズ氏。

 「トルコで幼なじみと集まる時に、それぞれに一番ぴったりのご利益があるお守りをプレゼントするんです。そうすると、世界のどこにいようと、いつも東京の一部が一緒にあるような感覚になれます」

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アンリミテッドコーヒーバー(東京都墨田区業平1-18-2)では飲み物を2種類注文する。まずはこの店の看板メニューのコールドブリュー。2杯目は温かいコーヒーと決めている。

イルグン・ヨルマズ

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トルコ、イスタンブール出身。20年以上のキャリアを持つジャーナリスト。新潟の国際大学で国際関係学と経済学の修士号を取得後、ホワイトハウス記者協会(WHCA)の奨学生として、コロンビア大学ジャーナリズム大学院で修士号を取得。

<活躍しているメディア>
これまで『ガーディアン』『ヴァイス』『ヴォーグ・トルコ』『ハフィントンポスト』に記事を執筆。また、大学でジャーナリズムを教えた経験を持つ。現在、2つの報道機関BBCトルコ支局と『日経アジア』の特派員および寄稿者として活躍。取材分野はアジア全般の政治経済、ビジネス、アート、文化など。
取材・文/キンバリー・ヒューズ
撮影/江森康之
翻訳/藤原朝子