東京を拠点に40年。外国人の視点を活かす仕事をつくる
東京にはビジネスチャンスがある、と感じた
バトラー氏が初めて東京に来たのは1982年のこと。当初は2カ月ほど滞在し、その後ヨーロッパと北米を回る予定だったが、この国の魅力にとりつかれ、そのまま東京に住み続けることになった。英語教師として仕事をしながら東京で暮らすうちに、この都市の秘めた可能性に気づく。
「ここには大きなビジネスチャンスがあると思いました。当時東京には多くの若いオーストラリア人が住んでいて、その大半は私のように英語を教えていました。大企業の社員でもない限り、他にあまり選択肢がなかったのです。同じ志を持つオーストラリア人が集まり、オーストラリアと日本の間のビジネスを促進するための協会を設立しました」。会員は当初の7人から200人にまで増え、日本在住のオーストラリア人コミュニティにとって重要な存在となっていく。「会社設立や人材採用、税金に関するセミナーなどを開催し、海外から日本に来てビジネスを始めたいと考える人たちのサポートを行いました。外国人が日本で仕事をする際の選択肢を広げたかったのです」
その後バトラー氏に転機が訪れる。日本の牛肉輸入自由化を受け、オーストラリア食肉家畜生産者事業団(当時)の日本でのマーケティングとブランディングを担当することになったのだ。現在では誰もが知る「オージー・ビーフ」はこの時に誕生したブランドである。
「大規模なキャンペーンや展示会など、ビジネスマンとして非常に充実した時期を過ごしました。キャンペーンは大成功を収め、オージー・ビーフは広く認知されるようになりました。日本の市場解放というエキサイティングな時期に立ち会えたことは非常に幸運でしたし、この成功体験から多くを学ぶこともできました」
その後一旦オーストラリアへ帰国し、政府や企業のアドバイザーを務めていたバトラー氏だったが、2009年、長年の友人に請われて再び日本に戻り、日本最大の英字フリーマガジン『メトロポリス』のCOO(最高執行責任者)となる。現在はメディアを運営しながら、海外企業の日本進出や日本企業の海外進出に関するコンサルティングも行っている。
「日本人とは違う視点」を強みに
この40年の間に、東京でさまざまなビジネスを日本で展開する興味深い人々に出会い、関わってきたバトラー氏。その中には、いち早くデジタルメディアに着目し、15言語に対応する日本旅行情報サイト『JapanTravel.com』を運営するニュージーランド出身の起業家、ラテンアメリカと日本間のビジネスを発展させるための協会を設立した元駐日パナマ共和国大使、日本で亡くなる外国人向けの葬儀社を営むカナダ人などがいる。彼らに共通するのは、外国人としての視点を活かし、ニッチなアイデアを持続性のあるビジネスに育て上げてきたという点だ。
「既にあるものではなく、日本に存在しないニッチな分野の製品やサービスで市場のニーズを満たすことが、ここでの成功のポイントではないでしょうか。私は、それまで日本に入っていなかった輸入牛肉を市場展開するという『オージー・ビーフ』の成功体験でそれを実感しました。私にとってビジネス上勝算があると思う分野は、"日本における英語メディア"です。その独自性には大きな可能性があると思っています」
バトラー氏は言う。「日本社会において"少数派"である私たち外国人には日本の人たちにはない視点があり、そこから生まれるビジネスチャンスがあります。多くの日本人が気づいていないマーケットがこの国にはまだたくさんあるのです」
ニール・バトラー
写真/福井馨