Chef's Thoughts on Tokyo:
文化交流のハブを東京・五反田に実現、ケニア料理店オーナーのあゆみ

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 フローレンス・マシューコウ氏は変化に富んだ人生を送ってきた。ケニアで生まれ育ち、カトリック系のミッションスクールに通い、英国に渡ってバイオテクノロジーを学びながら、アスリートとしてトレーニングを積んだ。東京に移り住んでケニア料理店「マシューコウズ・バッファローカフェ」を経営することになるとは、かつては夢にも思っていなかった。
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東京が故郷のように感じると話すフローレンス・マシューコウ氏。

文化コミュニティをつくる

 20代前半に東京に移住したマシューコウ氏は、夫と暮らしながらケニア大使館で働き始め、25年間勤めた。その後、アンゴラ大使館に勤務して3年が経ったころ、次のステップに進む時だと考えた。「初めは良かったんです。でも、若いうちは何でも楽しいですからね」

 自分で何かを築き上げたかったという。「小学校の教員とか、アフリカやアフリカ文化、ケニア文化について学びたい人に教えるとか、とにかく何かをしたかったんです」

 カフェとして店をオープンしたが、大使館勤務時代の知り合いから「ケニア料理を披露してほしい」と懇願され、すぐにレストランに変えた。今では人気の場所となり、特にマシューコウ氏と彼女の出身の文化について関心のある子どもたちが集まってくる。「子どもたちは宿題があるときや、外国のことを話したいときにここにやってくるんです。彼らとはじっくり話をしますよ。店の壁に貼られた写真や、黒人について質問されますね。日本で暮らすことや、黒人であることについて、私がどう感じているのかと聞かれるのです」

 学ぶ意欲がある人たちに出身の文化を伝えることに、マシューコウ氏は大きな喜びを感じている。熱心な人が地域には大勢いる。彼女自身、新しい文化を学び、人と分かち合うことが好きなのだという。彼女がレストランで提供しているのは料理だけではない。店の一角にはケニアの生地が積まれており、子どもたちが好きな柄を選んでバッグやパラソル、マスクなどを作ることができる。それらの生地を使った裁縫のワークショップも開催しており、手作りのバッグを販売して売上金を寄付し、子どもたちの支援をしている。

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メニューの一つである「ニャマチョマ」は、オーストラリア産の牛肉に、消化を助ける手製の酢漬けサラダが添えられている。

文化交流を通じて前向きな変化を促す

 マシューコウ氏が初めて日本を訪れたのは30年前。当時の日本では、在留外国人と接する機会は多くなかった。「山形県に住んでいる外国人は少なく、多くの人にとって私が初めて出会う外国人でした。雪がたくさん降っていたのですが、友達もいなければ、活動することも、仕事もなくて、予定も何もなかったので、私には一層寒く感じました」最初は近所の人々からは警戒もされたが、子どもたちはマシューコウ氏に興味津々だった。「子どもたちは好奇心旺盛で、いつも私に会いに来ていました」

 今は時代が変わり、多様性への意識が高まったことで、日本人との距離がぐっと縮まったと感じている。「日本はとても安全な国です。本当に」とマシューコウ氏は言う。

 活動の拠点である東京都品川区五反田に構えたレストランはオープンから7年が経ち、マシューコウ氏は今や地域の人々にとってかけがえのない存在だ。多くの常連客にとっては「第2の母」であり、相談相手となっている。「私はカウンセラーではないのですが、みんな話をしに来るんです。私はじっくり耳を傾けています」客を元気づけるときも彼女なりの方法があり、「踊ってもらうこともありますよ」と楽しげに話す。

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「マブー」は、カレーソースかトマトソースのいずれかを選ぶことができる一品。

愛情と歴史がつまった料理

 踊りの効果が今ひとつでも、マシューコウ氏の料理を食べれば誰もが元気になれる。彼女が作るのは、自身が属するケニアのカンバ族の料理だ。レストランをオープンする前は、料理が得意だと思ったことはなかったという。「仕事にしたことがなかったので、何を作ればいいのかもわかりませんでした。でも今では、ケニアの家族に会いに行くと必ず料理を頼まれるようになりました。みんなが私の料理を美味しいと言ってくれるのは誇らしいです」

 レストランのオープンは簡単ではなく、準備に1年を要した。本格的な料理を提供するためケニアに戻り、自身の民族から学ぶ必要もあった。「ケニアには、異なる文化を持ち、異なる影響を受けた民族が多く存在するため、料理は非常に多様です。私が作るのは私の民族の料理で、作りたてを提供しています。カンバ族の文化では、食べ物は病の予防のために重要だと考えられているので、私はいつも、料理を『コンロから胃に届ける』と言っているんです」        

 ケニアは多民族国家で、宗教や文化、料理もさまざまだ。「人々がいろいろな場所から集まり、英国によって分割されました。北から来た人もいれば東、南、西から来た人もいて、それぞれ文化も食べ物も服装も異なります」

 東京では世界各地の料理を求める人が増えており、マシューコウ氏のレストランにはさまざまなバックグラウンドを持つ人々が本格的な料理を味わおうとやってくる。東京が多文化に開かれた街となり、人々がよりグローバルな体験を求める中で、この店のようなレストランがこの10年で増えている。

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もともとはカフェだったこのレストランは、地域の小学生が集まってマシューコウ氏とおしゃべりをしたり、ダンスを楽しんだりする場にもなっている。

地域の人々を支えるボランティア活動

 マシューコウ氏は、レストラン以外でも地域の人々と交流をしている。カトリック教会に通う時間を除き、お年寄りや、話し相手を求めている人、広い心で自分の考えや文化を伝えたいと思っている人たちのために、ボランティア活動をしているのだ。交流したり散歩をしたり、一緒に料理をしたりするほか、若いころの思い出を書き出してもらって、他のボランティアと共にいろいろな言語に翻訳する活動もしている。「特別な日にお洒落をしたり、お化粧をして外出することにワクワクしたり、一緒に笑い合ったりするきっかけになってほしいです」

 マシューコウ氏は自らのレストランを、日陰の穏やかな涼しさにたとえる。「日陰は、暑い日差しを避けて涼み、安らぎを感じながら、鳥の声を聞き、さわやかな空気を味わえる場所です。ここは日本にある小さなケニアの日陰なのです」                            

 彼女にとっては困難な時期にサポートをしてくれた街への恩返しでもある。夫と離婚し、シングルマザーとして幼い2人の息子を育てることになったとき、日本人や地域の人たちに助けられたのだ。

 「とても親切にしてくれた日本に感謝しています。この場所のおかげで、人の温かさを感じることができ、ここが自分の故郷だと思えるようになりました。子どもたちがまだ小さかったころ、公営住宅に入居することもできました。私が働きに出るのに、子どもたちが頼れる場所が必要だったんです」とマシューコウ氏。その時の恩に報いることはできなくても、できる限り感謝の気持ちを示したいと思っている。そのためにボランティア活動を始め、それが文化交流へと発展した。支援する人から日本やその他の文化について教えられることもある。

 東京に30年以上暮らし、地域社会と深く関わってきたマシューコウ氏にとって、東京はもはや「異国の地」ではない。当初抱いていたネガティブな感情も、目新しさのせいだったと彼女は認識している。「この街に新たに加わり、すべてが目新しかったんです。いわゆるカルチャーショックですね」と言う。しかし、彼女にとってはもはや目新しいものではない。「もう長い間ここに暮らしていますが、今は母国から遠く離れているような感じがしませんね。この場所が落ち着くんです。故郷が2つあるような気がしています。だから、マシューコウズ・バッファローカフェの前にはケニアの国旗と日本の国旗の両方を掲げているんです」

取材・文/ローラ・ポラッコ
写真/ローラ・ポラッコ
翻訳/前田雅子