Correspondents' Eye on Tokyo:
超近代都市TOKYOは野鳥たちのオアシスだった

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ケンジ・ホール

【寄稿】バードウォッチングなんてありえない――。数年前までそう思っていた米国人ジャーナリストのケンジ・ホール氏が、家族ぐるみで野鳥の観察にはまるまでを綴る。

 東京で初めてカワセミを見たのは、自然教育園(港区)だった。明治時代は火薬庫があったところだ。12月のものすごく冷え込む朝、天気はくもり。鮮やかなブルーの背中と、オレンジ色のお腹をした小鳥が、私たちの目の前の葦の枝に止まった。眼下に広がる池の水面に全神経を集中しているのは間違いない。そのとがったくちばしで、朝ごはんになる魚を仕留めてやろうと思っているのだ。

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北の丸公園(千代田区)で野鳥を観察するホール氏の息子。

 息子も私も飛び上がって喜びたい気分だった。なにしろ、カワセミに遭遇したくて、何カ月も都内のいろいろな公園や水辺を探し回っていたからだ。「さっきまでいたのに」と言われたこともある。「池に向けて垂れたあの枝から、魚を狙っていたんだよ」と。

 カワセミの飛び抜けた狩りの技については、さまざまな本で読んで知っていた。水中では単眼視から両眼視に切り替える。オイルを差す必要がある自転車のブレーキのような、「キッキッキッ」という甲高い鳴き声。そんなカワセミにようやく会えたのが、白金台の自然教育園だった。首都高速道路とオフィスビルと住宅地に囲まれた、約20万平米の自然緑地だ。

 数年前に、「そのうち妻と息子と、野鳥を探して都内を放浪することになるよ」と言われたら、「そんなわけないだろう」と笑っていただろう。私はバードウォッチングなんてするタイプじゃないから、と。

「こんな大都会に多くの野鳥がいるはずはない」

 ハト、スズメ、カラス、それにカモメくらいなら、私も自信をもって名前を言える。アヒルもわかる。子どもの頃、サンディエゴ動物園(米カリフォルニア州)によく行ったから、フラミンゴやクジャク、ハシビロコウ、ハゲワシ、オオハシ、ダチョウ、ペンギンなどの外来種もよく知っている。でも、それ以外は「大きな鳥」か「小鳥」のどちらかだ。

 そんなおおざっぱなグループわけさえも、20年前に東京に引っ越してきたときは不要に思えた。そもそも野鳥なんて見当たらなかった。ハトが地面をつつき、カラスがゴミをあさり、スズメが縁石と街路樹の間を猛スピードで行き来するくらいだ。たまに空を見上げたとき、細長い首と長い脚をした鳥が飛んでいても、群れとはぐれてしまったのかな、くらいにしか思わなかった。東京は鳥たちにとって快適な楽園ではないと、すっかり私は思い込んでいた。だいたい、野鳥が生息する場所がないし、と。

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外堀(新宿区)はアオサギ(写真)やコサギ、カイツブリ、キンクロハジロ、オオバン、ハシビロガモ、コサギの憩いの場だ。

 ところが、その場所は身の回りにあふれていた。私がよく見て(あるいは聞いて)いなかっただけなのだ。注意して見るようになると、あらゆる場所で野鳥の存在に気がつくようになった。窓の外のツタでは、目が白く縁取られたメジロが、キュルキュルキュルとさえずりながら食べ物を探しているし、裏通りの家屋の屋根や電線では極小のシジュウカラがヒナたちに飛び方を教えている。春になると、マンションの駐車場から猛スピードでツバメが出たり入ったりしている。そこに泥で固めた巣があって、ヒナたちに食べ物を運んでいたのだ。息子と私は近所のバス停に並びながら、そのアクロバティックな飛行を驚嘆して眺めたものだ。息子の合気道の道場から自転車で帰る途中に、2階建ての民家の縁でオオタカがムクドリを豪快に引き裂いているのを見たこともある。

 驚いたことに、我が家から歩いてすぐのところにも野鳥の生息地があった。かつての江戸城の外堀だ。交通量の多い外堀通りと線路に挟まれた堀は、昔からアオコの大量発生が問題になってきたが、さまざまな渡り鳥や留鳥とでいつも賑わっている。いちど息子と数えてみたことがあるのだが、数百メートルの堀に17種類もの野鳥がいた。

 冬には、ゴイサギが岸辺で日向ぼっこしている。オオバン、ハシビロガモ、コサギも一緒だ。ふんわり丸くて白黒のツートンカラーが印象的なキンクロハジロと、頭だけ赤銅色のホシハジロが、ゆらゆら水面を漂っている。多くは何千キロも離れたロシアから旅してくる。私のお気に入りは小さなカイツブリだ。グイッと首を曲げて潜水したかと思うと、ヒョイと浮上して甲高い声でキュルルルルーと鳴く姿には、つい笑ってしまう。

 すべてが驚きだった。でも、熟練バードウォッチャーなら、私が遭遇した鳥たちは、東京に見られる野鳥のほんのひと握りだというだろう。日本野鳥の会によると、日本列島には、600種(うち約20種は侵略的外来種らしい)の鳥が生息あるいは飛来するという。南北2000キロに横たわる国土とはいえ、面積はカリフォルニア州よりも小さな国としては驚異的だ。

江戸時代から記録されていた野鳥たち

 東京といえば、高層ビルとどこまでも続く住宅地からなる人口1400万人のメガシティという印象が強い。だが、約2200平方キロの土地には、森もあれば山もあるし、10を超える離島もある。そのひとつは、太平洋岸から1800キロも離れている。だから東京にはさまざまな鳥が生息しているのだ。都会を好む鳥もいれば、森にいる鳥、草原に住む鳥、湿地や海辺に生息する鳥もいる。食べ物も、虫を食べる鳥もいれば、花蜜や草の種を食べる鳥もいる。ほかの鳥や魚を食べたり、ゴミを食べたりする鳥もいる。多くの点で、鳥は人間とそんなに変わらない。食べ物や生活環境の好みがうるさくて、騒音や人ごみに対する耐性も人(鳥)それぞれだ。

 江戸時代の東京は、もっと鳥が住みやすい環境だった。そこに広がるのは、水田や沼地、そして草の生い茂る川岸がほとんどだ。日本野鳥の会の理事などを務めた松田道生さんの著書『江戸のバードウォッチング』(あすなろ書房)によると、森や湿地にはマガンやコウノトリやトキが生息していたと、江戸幕府の公式史書『徳川実紀』に記されているという(つるりとした頭と赤い顔、そして細長くしなったくちばしが特徴的なトキは、1980年代に野生絶滅したものの懸命な努力により野生復帰を果たした)。浮世絵師の歌川広重は、『名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま』(1857年)でタンチョウヅルを描いており、現在はおもに北海道で見られるこのツルが、かつては東京の川岸に飛来していたことを教えてくれる。

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外堀や井の頭公園では日向ぼっこをするゴイサギも見られる。

 野鳥は食用に捕獲されることもあった。菅豊東京大学教授の著書『鷹将軍と鶴の味噌汁――江戸の鳥の美食学』(講談社選書メチエ)によると、江戸初期の1643年に刊行された『料理物語』(現存する日本最古の料理本のひとつだ)には、ゆでたハクチョウ、タゲリの網焼き、バン(水鳥)の焼き鳥、アヒルの内臓の塩漬けなど、80種類もの鳥の調理法が書かれているという。それは将軍が定期的にツルの狩猟をして(記録によると16111790年に183羽)、皇室に献上したり、その残りを大名たちの宴で供したりしていた時代だ。

 長い間、私はこうしたことにまったく無関心だった。東京の野鳥の生態に目を向けるようになったのは、コロナ禍と、それによって息子の小学校が休校になったのがきっかけだった。2020年前半、「ステイホーム」が呼びかけられていたとき、私は息子を外の空気に触れさせるアクティビティを探していた。そこで日本野鳥の会のパンフレットを取り寄せ、『フィールド図鑑 日本の野鳥 第2版』(‎文一総合出版)を買い、ジョン・ミューア・ローズとデービッド・アレン・シブリーのオンラインお絵かき教室を受講し、少しばかり上等な双眼鏡を買い込んだ。こうして我が家は野鳥オタクになっていった。

家族で野鳥オタクの道へまっしぐら

 すぐに東京の公園や緑地には、私たちの想像を大きく超える野鳥が生息していることがわかった。皇居上空を優雅に舞うサシバ、線路脇で仲間と群れる水色の長い尾が美しいオナガ。70ヘクタールもの広大な明治神宮の森では、ルリビタキやオシドリを見られるのではないかと北池にバードウォッチャーが集まっている。

 白金台の自然教育園では、雪のように白いダイサギや、オオタカの幼鳥、ビビッドな緑色の頭のマガモに出会った。吉祥寺駅に近い井の頭公園では、草むらにツグミ、木の枝にシジュウカラやコゲラ、そして白鳥型の足漕ぎボートからヒドリガモを観察できた。息子の夏休みに東京港野鳥公園(大田区)に足をのばしたときは、干潟にコチドリを見つけたし、コアジサシが急降下してきて水に飛び込み、魚を仕留める様に圧倒された。コアジサシは黒いハンチング帽を被ったような模様の小鳥で、細身ながらオーストラリアやニュージーランドから6000キロも旅してやってくる(東京港野鳥公園には餌場として、あるいは繁殖地として、200種の野鳥が集まるという)。

 我が家の一番のお気に入りは、電車で1時間弱のところにある葛西臨海公園(江戸川区)の鳥類園だ。27ヘクタールもの広大な埋め立て地は、カケスからミサゴ、モズ、チュウシャクシギなど約120種もの野鳥と、あらゆる年代のバードウォッチャーが集っている。私たちがそこによく行く理由のひとつは、吉田祐一さんがいるからだ。吉田さんは鋭い観察眼を持つ若手の専門家で、さまざまな野鳥の見分け方など多くのことを私たちに教えてくれた。話し上手な吉田さんは、週末になると、鳥類園のツアーガイドをしたり、沼や湿地の掃除をしたり、公園の非公式ブログに野鳥たちの観察記録を書いたりしている。2年前、私たちは吉田さんが企画した、浜辺の草木を刈り取るイベントに参加した。コアジサシが巣をつくれるようにするためだ。そのとき聞いた美しいヒバリの声は、重労働のごほうびのように感じられた。

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井の頭公園や自然教育園では、カワセミが魚を仕留める姿を見られる。

 つい最近、妻と息子と連れ立って早朝の北の丸公園(千代田区)を歩いてみた。日の出直後で、ジョギングコースを走る人たちがちらほらいる。大きな池ではヨシガモが泳いでいた。岸辺には、厚手のコートを着込んで、望遠レンズ付きカメラを持った2人の男性がいた。「カワセミだ」。背が高い方の男性が言うのが聞こえた。「毎朝くるんだよね」

 そのとき、弱い日差しの中で青い閃光が走った。すかさず双眼鏡をのぞくと、対岸でカワセミがぎこちなく首を動かしては水面を偵察している。男性たちがシャッターを切る音が聞こえた。何分かたった。すると突然、カワセミは池に飛び込んだかと思うと、1匹の魚をくわえて、もといた木の枝に戻ってきた。すべては一瞬の出来事だ。だが、私たちがあまりにも凝視しているのが気に入らなかったのか、すぐに飛び去ってしまった。東京でカワセミを見たのは、これが初めてではなかった。6回目だ。それでも、小さな鳥が目のくらむようなスピードで見せた狩りの技に、私はクラクラした。そんな経験をするのは、今回が最後ではないはずだ。

ケンジ・ホール

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米国人ジャーナリスト。20年以上東京を拠点に、AP通信や『ビジネスウィーク』誌、『モノクル』誌のスタッフライターを務めてきた。『ロサンゼルス・タイムズ』紙や雑誌『ニュー・ステーツマン』、『スポーツ・イラストレイテッド』、『テイスト』などにも寄稿している。日本の米文化に関する本を執筆中。
写真提供/ケンジ・ホール
翻訳/藤原朝子