Chef's Thoughts on Tokyo:
ハンガリー出身の元モデルが東京で伝える故郷の味

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 ラスロー・コタセック氏は、日本食への好奇心と冒険心を胸に、2000年代初頭に日本へやってきた。それから約20年にわたり東京に住む彼は、今や第2の故郷となった東京・赤坂にあるハンガリアン・バー&レストラン「ドブロギ」で、母国の味を広めている。
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ハンガリーのワインやリキュールを出すバーカウンターに立つコタセック氏。

東京で見つけた自由と楽しみ

 ヨーロッパでモデルとして活躍し、複数の国を渡り歩いていたコタセック氏は、日本でもモデルとして働くために来日した。「東京に20年も住むつもりはなかったのですが、成り行きでこうなりました」と彼は振り返る。「あの頃はただ冒険がしたくて、世界を見て回りたかった。日本という国は、ハンガリーから最も遠いところにあると思ったんです」

 彼が日本に関して特に興味を持ったのは、食べ物だった。1999年にオーストリアで初めて食べた日本料理は、彼の心に深く刻み込まれた。「来日するチャンスを手にした時、すばらしい日本料理の味を瞬時に思い出したんです。ぜひ本場で食べてみたいと思いました」

 初めて東京の地を踏んだ当時の心境を、彼はこう振り返る。「海外から来た誰もがそうだと思いますが、初めて東京に来た時は本当に驚きました。ヨーロッパの都市と比べて規模が大きく、いろいろな要素が凝縮されていて、きらびやかで興奮させられました」

 東京でもモデルとして引く手あまたとなったコタセック氏は、伸び伸びと順風満帆な日本生活を送っていた。「若かったこともあり、何もかもが100%楽しかったですね」と語る彼は、季節に応じて国内各地を旅するうちに、接客業にも携わるようになった。「ずっと接客業にも興味があったんです。バーで働き始め、カクテルの作り方を学びました」

 そして静岡県下田市を訪れた際、夏の間だけ営業していた海沿いの小さなメキシカン・フードスタンド「バラトン」を見つけ、当時のオーナーから譲り受けることになった。「バラトン」とは、ハンガリーの有名な湖の名前でもあり、彼にとっては運命的なものに感じられた。

 下田市では現在の妻とも出会い、共に支え合って店を営んだ。「正直に言うと、彼女のほうが料理は上手だと思いますよ。盛り付けのセンスも抜群なんです。料理は私一人でも出来ますが、二人で協力してやるのが一番です」と話すコタセック氏は、妻と二人三脚でのお店の切り盛りを楽しんだ。

東京に定住、そして開店へ

 その後、東京に戻った夫妻は、先を見据えた常設の店舗として「ドブロギ」を立ち上げようと決意した。そんな折、オーストリア人のレストランオーナーが、店の買い手を探していることを知った。コタセック氏にとっては、自身の店を持つ絶好の機会だった。「それまであちこちを転々としていましたが、腰を落ち着けて取り組んでみようと思ったんです」

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サワークリームとガーリックオイル、チーズを使った揚げパン、ランゴシュ。ハンガリーの伝統的な屋台料理だという。

 コタセック氏は店を始めるにあたり、知り合い数人の力添えを得た。さらには、「ドブロギ」を通じてハンガリーの食文化を広めたいと考えたハンガリー大使館も、彼に協力してくれた。東京でレストランというビジネスを立ち上げた当時について、彼はこう語る。「意外と簡単で、全く難しくありませんでした。初めてなので少し心配していましたが、東京はレストランを開店するために何をしなければならないかについてのルールが明確なんです」

 他の大都市に比べ、東京でのレストラン開業は極めて容易だと、コタセック氏は考えている。「飲食事業を展開する友人がハンガリーにもいますが、彼らは苦労しているようです。私がやってもかなり大変だったろうと思います。この違いには信頼関係に重きが置かれている日本文化の特徴も関係しています」

 ハンガリー大使館は今も、コタセック氏の仕事を支援し続けている。彼が新しく購入したフードトラックにハンガリー料理を載せ、店の外で移動しながら提供する事業も支えてくれたのだ。そうした活動は、大使館が単独で行ってきたものではなく、東京都とも提携し、外国人経営者を含む小規模事業者にこうしたビジネスの機会を提供している。多様性を求める動きが活発になってきたこともプラスに働いていると、コタセック氏は考えている。「すばらしいことだと思います。周囲に知ってもらうことで、サポートを得られるのです」

 フランス料理やイタリア料理といった日本人になじみのある料理だけでなく、まだあまり知られていないような世界中の料理もまた後押しを受けている。

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パプリカーシュ・チルケは最も有名なハンガリー料理の一つ。パプリカを使った濃厚かつクリーミーなソースで煮込んだ柔らかい鶏肉が、自家製ピクルスと絶妙にマッチする。

 新型コロナの流行時には、多くのレストランやバーが大打撃を受けたが、コタセック氏は都から受けた援助について「本当にありがたい支援だった」と感謝を述べる。

 彼は今、日常が戻りつつあることを実感している。まだコロナ禍前の水準には戻っていないものの、店の売り上げは少しずつ回復しているという。

東京の中心でコミュニティを形成する

 コタセック氏がこの店舗を引き継ぐことにした大きな理由は、赤坂という立地だった。「この辺りは、ビジネス街なので、多くの働く人たちがいます。彼らは常に新しいものを食べ物含めて求めているんですね。赤坂はいろいろな料理を味わうことができ、雑多に混在していて、文字通り何でも手に入る街です」

 彼の言うように、赤坂の通りを歩けば、世界各国の料理を提供するレストランの数々が目に飛び込んでくる。「赤坂は世界の食が寄り集まる中心地です」と話す彼は、レストランを立ち上げる際の心構えについて付け加える。「失敗はあり得ませんよ。必要なことはただ一つ、おいしい料理を届けることです。ハンガリー料理でも、アルゼンチン料理やアフリカ料理でも、おいしければたくさんのお客様が立ち寄ってくれるはずです」

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ハンガリーの居心地のよいバーを思わせる、魅力的なインテリアで飾られた店内。

 コタセック氏が赤坂を愛する理由は、自身のビジネスにとって好都合というだけでなく、国際的な存在感を強く放つこの街のコミュニティにもある。「赤坂はとても国際色豊かな街です。都内で最も外国人居住者や外国人経営者の割合が多い街の一つだと思います」

 赤坂にいれば、他人と打ち解けるのも難しいことではないという。「誰もが知り合いで、友達の輪が広がる街なんです。居酒屋に入って一人と仲良くなれば、すぐに友達が五人できますよ」

 六本木や渋谷にも近く、便利で快適な街であることはもちろんだが、彼にとって赤坂はそれ以上の存在だ。「この街は、まるで自分の故郷のような感覚です。ご近所さんとも親しいですし、ここから最寄り駅まで歩けば、その間に誰かしら知り合いに出くわしますよ。本当に落ち着く場所なんです」

Döbrögi(ドブロギ) https://dobrogi.business.site/
取材・文/ローラ・ポラッコ
写真/ローラ・ポラッコ
翻訳/アミット