起業と彼女の物語
「乳がんと闘わない世界を作りたい」リリーメドテック東志保の挑戦

出典元:madame FIGARO.jp
 リリーメドテック代表取締役CEO(最高経営責任者)である東志保は意志の人だ。その意志の強さは彼女の言葉一つひとつに宿っている。17歳の時に母親を脳腫瘍で亡くすという体験が原点となり、乳がんを少しでも早く発見できる画像診断装置を開発するリリーメドテックを起業した。彼女にとって、起業は「母親を奪った病気へのリベンジだった」という。
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リリーメドテック代表取締役CEO東志保。本来は自身のことを研究者向きだと語る東。だが、その使命感と責任感の強さから、いまは経営者としてチームを引っ張っている。

「母親を奪った病気にリベンジし、社会に貢献したい」

 日本では女性が罹るがんの中で乳がんは最も多く、増加の一途をたどっている。乳がんになる女性は9人にひとりと言われ、年間約1万5千人が亡くなっている(2019年)。にもかかわらず、日本の乳がんの検診受診率は50%弱。一度も乳がん検診を受けたことがない人は16%にものぼるという。乳がんの検査と言えば、超音波かマンモグラフィを思い出す人は多いだろう。早期発見に繋がりやすいと言われるマンモグラフィだが、専用の撮影台に乳房を載せ、透明な板で胸が薄くなるまで圧迫することから相当の痛みを伴う。その痛みに対する恐怖で検査から足が遠のく人も少なくない。

 リリーメドテックの装置は、ベッドにうつ伏せになって中央に開いている穴に乳房を入れる。その穴の中に搭載されたリング型の超音波動子アレイが動いてスキャンするので、痛みもなく、誰かに乳房を触られることもない。検査を受ける身体的、心理的な負担を大幅に軽減できる。

 「日本人では乳がんの罹患率が跳ね上がるのは40代なのですが、その年齢だとまだ元気だからとなかなか検診にも行かないなど、自分の身体と向き合わないですよね。だからどうしてもがんが見逃されて、かなり進行してから見つかることがよくあるんです。検査への恐怖心がなくなれば、継続して受診してもらえて、早期発見に繋げることができます」

 40代と言えば子育ての最中だったり、キャリアでも責任あるポジションを任される時期。もしがんを発症しても早期に治療ができれば、仕事も続けられるし、家族を悲しませることもない。東のこうした強い意志の背景には、約1年間の闘病の末、46歳で亡くなった母親への思いがある。

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進路選択でも生き方でも大きな影響を受けた母。東の高校時代に発症、闘病の末亡くなった。

 「脳腫瘍で倒れてからの闘病は本当に過酷でした。言語障害・半身不随の重度の障がい者になってしまったんです。本人も大変ですが、母親ががんになると、子どもたちを含め、家族への影響も本当に大きい。私は高校時代、家事を担いつつも母親の闘病にほぼすべての時間を費やしており、ずっと余裕がなく、大学受験もあまり記憶にないんです。母親がいなくなることが、いかに家族をバラバラにしてしまうのかも痛感しました」

 自身の経験から生じたがんの早期発見、早期治療への思いは信念に近い。とはいえビジネス、ましてや経営の経験などゼロからの挑戦だった。母親の影響もあり理系に進学し、アメリカの大学院では中学時代から憧れていた宇宙分野の研究を重ねた。帰国後はJAXAの宇宙科学研究所で博士後期課程に進学し、その後、計測機器メーカーで研究用の大型分析装置の開発エンジニアとして働いてきた。ひたすら新しい技術を学んで習得して、その技術が実装されることに達成感も感じてきた。

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海外で学びたい気持ちを引き出してくれたのも母だった。

 研究一筋だった彼女が「経営者」となったのは、やむにやまれぬ事情からだった。夫が中心となって開発した技術を用いて乳がんの早期発見装置で起業しようとしたが、周りは研究者やエンジニアばかり。経営を担ってくれる人材を探し歩いたが難航した。

 「医療系のベンチャーは実用化までに相当な時間がかかります。長期にわたり私たちと伴走してくれる人が見つからず、最後はいちばん強い思いを持っている私がやるしかないと決断しました」

 実用化に時間がかかるということは、研究や開発にも莫大な資金が必要だということでもある。投資家を回り始めた当初、反応は鈍かった。投資家はまだまだ圧倒的に男性が多い。乳がんの検査のハードルの高さが未受診に繋がり、そのことで早期治療に繋がらない課題を訴えても、なかなか理解してもらえなかった。課題の重要性を感じてもらってこそ、資金は集まる。あまりにも出資者が見つからなかった数年間はいちばんしんどかったという。仕事に追われて家に帰れず、ゴールデンウィークに会社に寝泊まりしたこともあった。

 「『味方はいるのかな?』と思ったこともあります。この事業は社会にとって絶対に必要だと確信していましたが、『資金が集まらない』ということは社会から必要とされていないということだ、と言われたこともあり、誰のために、なんのためにやっているのか、わからなくなってしまったこともあって......。私のわがままだけで突き進んでいるんじゃないかって」

 いまはCTO(最高技術責任者)として会社の経営陣に加わっている夫は、当時は東大で研究者として働いていた。事業の核となった技術は、元は夫が開発したものだが、それでも資金調達など経営上の問題は夫にも相談できなかった。

 「誰かに相談したくても、資金調達や経営の問題は当事者でないと解決できないですし、研究者である夫に相談しても意味がなく、むしろ万が一他の人に情報が拡散するとまずいので、ひとりで抱え込み、やり切るしかなかったんです」

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東京大学に勤めていた研究者の夫が開発した技術をもとに立ち上げたスタートアップなので、オフィスはいまも東大のキャンパス内にある。

 東は困難に直面した時、戸惑いや迷いが生じた時はひたすら考え続けるという。なぜ迷っているのか。なぜこんな感情になるのか。自分がどんな人間なのかまで深く考え、自分の弱点を見つめ直す。そんな時に、何度も反芻するのは、「鉄の女」と呼ばれたイギリスの故マーガレット・サッチャー元首相の言葉だ。

 「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる」

 この言葉を、彼女を主人公とした映画で知った時に、まさに普段から意識していることが言語化されていると思ったという。

 「運命を形作るのは自身の考えなので、まず自分の考えを確立して、それを言葉にしてきちんと行動に移す。一気通貫するストーリーとして、行動することが大切だと思っています」

 東は自分のことを「まったくリーダーらしくないリーダー。他者からはめちゃくちゃリーダーシップが弱いと思われている」という。それでもこの時代、女性の強みが新しいリーダー像をつくるとも感じている。

 「女性の強みは一般的に感受性や共感力だと言われているので、他者をよく観察しています。だからチームや組織を構築するのに向いている。男性は強いリーダーシップ像をつくって従わせるというやり方ですが、女性はみんなを巻き込み、無理のない組織ができると思っています」

 起業の原点でもある母は、彼女のロールモデルでもあった。

 「母は気丈で高潔な人でした。母が亡くなってどんな女性になりたいのか考えてきたのですが、やはり母のように気丈でいたい、高潔でいたいと思っています」

 自身の能力や志向性を考えると、研究者を続けていたほうがストレスなく働けたと思う。それでも起業というチャンスが目の前にきた時に、母を思い出した。母を奪った病気にいつかリベンジを、という思いはずっとあった。「これはもう運命だ」と。

 「苦しいこともいろいろあったけれど、そこから何を学べるかと考えながら生きてきました。研究者のままだと、いつ人類に貢献できるか見えづらいのですが、この装置を社会に送り出せたら、こんなに社会に貢献できるチャンスはないと思っています。『応援しています』などと声を掛けてもらうと、大きな社会課題に向き合っている、この方向に進んで間違いないと実感させられます」

 いずれは乳がんの早期発見だけでなく、治療の装置も開発する予定だ。発見できても、治療の負担が大きければ、結局その手前の検診から足が遠ざかってしまうからだ。リリーメドテックの理念は「『乳がんと闘う』──この言葉のない世界を目指して」。その理念が実現される日は、多くの女性とその家族が救われる日だろう。

リリーメドテック www.lilymedtech.com

取材・文/浜田敬子 写真/横山創大

※本記事は「madame FIGARO.jp」(2021年11月19日)の提供記事です。