東京のまちづくりの潮流:これまでとこれから:岸井隆幸|TMCトークVol.9

 本記事は2021年7月27日に 東京都メディアセンター(TMC) が実施したTMCトークでの日本大学理工学部土木工学科特任教授、一般財団法人計量計画研究所代表理事、岸井隆幸氏の講演を書き起こしたものです。  英語で読む/Read in English
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東京のまちづくりの潮流:これまでとこれから|TMCトークVol.9

 今日は「東京のまちづくりの潮流:これまでとこれから」についてお話をしたいと思います。

 17世紀初めから19世紀半ばまで、日本は徳川家が統治し、その頃東京は"江戸"と呼ばれ、半径6kmぐらいの範囲に約100万人の方が住んでいる非常にコンパクトな巨大都市でありました。そして1868年、政治体制が変わって、"東京"と名前が変わりました。

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 その後、新しい技術を学んで、近代国家の基盤を作っていくわけですが、1923年に関東大震災が東京を襲います。火事によって、江戸の町はほとんど燃え尽きてしまいました。

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 また当時、東京の郊外で鉄道が建設をされていましたが、1923年の関東大震災で、街の中心が燃えてしまったので、人々は郊外に移り住み始めます。東京は、一気に広がっていくわけであります。

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 しかし1945年、第二次世界大戦によって、東京はもう一度破壊されます。この写真は銀座の風景です。この戦争の後、戦災復興の事業に取り組んで、東京は少しずつ基盤を戻してきます。

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 そして1960年代。多くの人が東京の地域に移り住むようになってきました。東京の人口は一気に増えていきます。

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 その結果として、様々な問題も生じました。ここにあるような交通渋滞、あるいは環境問題、東京は苦しんだわけであります。

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 1964年には東京オリンピックが開かれました。この東京オリンピックの時に、東京の新しい基盤が多数建設されています。新幹線、首都高速道路、羽田空港からのモノレール、いずれもこの時期に建設されたものです。

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 多くの人が東京に集まってきた、その結果として、郊外部では、鉄道会社による鉄道の建設と都市の整備が一体的に行われました。また、都心部では地下鉄が建設され、郊外から直接、地下鉄に乗り入れてくるという工夫をして、東京は一気に鉄道の街になるわけです。この図は山手線を示していますが、一周35kmには渋谷、新宿、池袋、上野、秋葉原、東京、品川といった大きな駅がこの山手線上に存在しています。

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 東京の中心部にあった様々な機能を、こうした渋谷、新宿、池袋に移していこうという動きも出ました。また政府では、より広いエリアに行政機能、研究機能を移していこうという動きも出てきます。ここに説明しているのは、業務核都市と呼ばれている地域を指定した、その図であります。

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 ここに多くの研究機関が移転をしていきます。一極集中から、多核分散へ移ろうと考えたわけであります。こうした様々な努力によって、現在、皆さんは、地下鉄を使って移動し、富士山も見えるし、青空も見えるし、そしてきれいな川を取り戻すということができるようになりました。

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 東京の中央部には、皇居、あるいは様々な公園が連担して存在しています。大変大きなヴォイド(隙間)を作っているということになります。

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 そして東京の周辺部には、世界から様々なレストランも移ってきました。多くの楽しい食事ができる、そういう都市になったわけであります。

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 こうして発展してきた東京ですが、現在の姿に留まっているわけではありません。これから新しいプロジェクトについて、少しご紹介をしたいと思います。

 東京駅の周辺では1988年ごろから、再開発が進んでいます。東京駅のすぐ近くにある業務地の中心部に「仲通り」という通りがありますが、ここでは8月2日から車の走行を止めて、天然の芝を敷き詰めた憩いの空間「パークストリート」というものを作り出します。ぜひ見に行っていただきたいと思います。

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 また、渋谷でも現在再開発が進んでいます。ハチ公前広場は大変有名な広場ですが、ここは拡張されますし、新しい広場が鉄道の上空に生まれてきます。そして東口駅前広場の下には、災害対策として、雨水の貯留槽を設置いたしました。

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 東京都庁があるこの新宿でも、新しい再開発が動き出そうとしています。世界一の乗降客数を誇る駅周辺の新しい動きで、ウォーカブルな都市を作っていこうという動きであります。

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 また新しい開発としては、品川駅の周辺で今、大きな動きがあります。リニア中央新幹線の東京のターミナルは、品川駅です。品川駅は羽田空港まで20分足らずの位置にあって、西側にはホテル群、東側には日本を代表する企業、そして北側には新しく開発が行われるという、とても世界にも類がない、こうした機能がひとつの駅の周辺にまとまっている特徴的なエリアだと思います。今後は国際的な拠点としての可能性や役割が期待されています。

 そして今、動いているのが、首都高速道路の地下化のプロジェクトです。1964年の東京オリンピックのときに、この首都高速道路は作られました。川の上を走る、とても印象的な風景を作り出しています。60年経って我々は、この高速道路を地下に移すことを決定しました。結果として、一部の路線が歩行者のための空間に変わっていきます。この図の赤いライン「KKライン」と書いてあるところが、それにあたります。築地にも近くて、新しい東京の名所が誕生するということになると思います。

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 このように東京は、何度かの破壊を乗り越えて、新しい街を作り上げてきましたし、現在も「前へ前へ」と進んでいます。富士山もとても綺麗に見えますし、夜も大変楽しい街になってきました。四季折々の変化、そして多様な方々との交流。独自の歴史と文化、こうしたものを楽しめる、新しい東京が生まれようとしています。

 東京は常に、新しい挑戦を続けます。ぜひこの機会に、様々な東京を、存分に味わっていただきたいと思います。今日は時間が限られていましたので、詳しい説明をかなり飛ばしていますが、ここにありますWebサイトをご覧いただくと、英語版で東京の歴史、現在の東京の姿を見ることができます。

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 また最近の東京のプロジェクトについて、お知りになりたいという方には、こういった書籍をおすすめいたします。東京の最近の様々な都市開発プロジェクトが紹介されています。この本を持って、東京を歩いていただきたいと思います。

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 是非この機会に、新しい東京を感じていただきたい。我々は心から歓迎をいたします。

記事中の文言は、実際の発言内容と必ずしも一致するものではございません。