渋谷にひっそりと佇む戸栗美術館は、東アジアの陶磁器の宝庫
戸栗美術館では、東洋屈指の陶磁器にいつも出会える。
渋谷の喧騒の先にある静謐な空間
渋谷区松濤。大使館や落ち着いた邸宅が並ぶこの地区に、東洋の陶磁器を専門に扱う小さな美術館があることは、あまり知られていない。渋谷駅から歩いて15分ほどだが、静謐な展示室と上品な中庭を備えた戸栗美術館は、駅周辺の喧騒とはまるで別世界だ。それだけではない。東京に美術館は多けれど、いつ、どんな企画展に訪れても、東洋屈指の80点以上もの陶磁器を堪能できる美術館はあまりない。
磁器は、丈夫で軽く、様々な形に成形できる上に、鮮やかな絵付けができる一方で、特別な原料が必要で、かなり高温で焼成する必要がある。磁器づくりの製法や技術は、中国で1000年以上をかけて完成され、17世紀初頭に朝鮮半島を経由して日本に伝わった。半島からやってきた陶工たちが現在の佐賀県の有田に磁器にぴったりの原料を発見し、その周辺に窯を開いたのが始まりとされる。その数十年後、明から清に代わる混乱期に中国との貿易が困難になったオランダ東インド会社は、有田に注目するようになった。彼らが買い付けた有田焼は、近くの伊万里港から出荷されていたため、伊万里焼と呼ばれていた。
中国陶磁コレクションを見られる貴重な機会
戸栗美術館は、江戸時代(1603~1868年)の伊万里焼の優品を所蔵していることで知られるが、創設者の戸栗亨は、中国や韓国の陶磁器も熱心に集めた。そこで戸栗美術館は、開館35周年を記念して、中国陶磁器の特別展を15年ぶりに開く(開催中。会期は12月29日まで)。
『開館35周年記念特別展 戸栗美術館名品展II―中国陶磁―』と銘打たれた展覧会では、明時代の官窯から生まれた逸品や、元代の青磁など、選りすぐりの名品を鑑賞できる。さまざまな時代や様式、形状、釉薬の器を取り揃えた展示は、初心者でもわかりやすい構成だが、その内容は、めったに公開されない逸品ばかりで、愛好家もうならずにいられないはずだ。
死後の世界の生活の供に
とくに注目されるのは、8世紀に作られた全長70センチを超える馬の三彩だろう。体部に白泥(はくでい)が置かれ白斑が表現されている。鞍や蹄、馬具などは鉛釉と呼ばれる釉薬がほどこされている。鞍に支柱があったような痕跡があることや、首の付け根の形状など見ると、もとは人間が乗っていた可能性がある。実際、刈り込まれたたてがみの一部は長く残されており、騎乗者がつかまれるようになっていた可能性が高い。
こうした陶器の多くは唐代(618~906年)の作で、人間の形をしたものもあれば、動物の形をしたものもある。いずれも貴族の副葬品として使われた可能性が高い。唐代の陶器の馬は、都内のいくつかの美術館でも所蔵されているが、戸栗美術館の馬は格調高いクリーム色の傑作といえるだろう。
さらに珍しく、そして同じくらい名品なのは、胎土に黒漆をほどこした博山炉(はくざんろ)だ。その蓋は山の形をしており、香を焚いたとき、山並みに沿って煙が漂うように孔が配置されている。3本の足は熊の形をしている。表面にほどこされた漆は、光や環境の変化によりダメージを受けやすく、出展されることはめったにないから、絶対に見逃せない品のひとつだ。
完璧な発色の釉裏紅
戸栗美術館は、東洋の陶磁器の愛好者も初心者も満足させようと、教育活動に力を入れている。近年は、外国人観光客への対応にも力を入れており、全作品のキャプションに英語でも基本情報を入れている。一部展示品では、歴史的背景や制作工程などの追加情報も翻訳している。
たとえば、今回の展覧会では、一部の陶器に、銅の顔料を使って紅色に発色させる釉裏紅という技法が使われていることが説明されている。「釉裏紅(ゆうりこう) 菊唐草文(きくからくさもん) 瓶」もそのひとつだ。明代洪武年間(1368-98)の海禁時代に景徳鎮で作られたらしい。この時期は、海上交易が制限され、青花磁器に必要なコバルトが不足したため、顔料として酸化銅を使う釉裏紅磁器が多く作られた。ただ、酸化銅は発色が不安定で、窯の温度が高すぎると揮発してしまうし、温度が低すぎると黒みを帯びてしまう。その点、「釉裏紅 菊唐草文 瓶」は素晴らしい発色で、瓶の美しい膨らみを引き立たせている。
戸栗美術館は年末年始(2022年12月30日〜2023年1月14日)は休館。1月15日からは、特別展『開館35周年記念特別展 初期伊万里・朝鮮陶磁』が予定されている。
戸栗美術館
翻訳/藤原朝子
写真提供/戸栗美術館(掲載した作品はすべて戸栗美術館所蔵)